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Diary

加藤 孝司

加藤 孝司

http://form-design.jugem.jp

デザイン・ジャーナリスト。東京は浅草生まれ。建築・デザインを横断的に探求、執筆。デザイン誌や建築誌などへの寄稿をはじめ、2005年よりはじめたweblog『FORM_story of design』では、建築、デザイン、映画や哲学など、独自の視点から幅広く論考中。




いま、ファッションの時代(再考)。

2017年02月10日 

最近あらためてファッションが気になる。コズミックワンダー、ディガウェル、エンダースキーマ、ヤエカなどを好んで購入して身につけているわけだが、その背景につねにあるのが、初期衝動やアートとしてのファッションのあり方だ。
そんな時に、たびたび本棚から引っ張り出して読んでいるのが、2011年に上梓された林央子さんの著作「拡張するファッション」である。
’80年代という夢やうつつにほだされた時代から始まって、世紀末という記号がもつ不安の中、足早に過ぎ去ったゼロ年代に繋がる、何ものにも感情を左右されないクールなスピリットをもった’90年代という時代ファッションやカルチャーのアーカイブである。

林さんはファッションやアートを中心とした編集者で、自らも2002年より現在まで、不定期に刊行されているZINEのような親密さをもつ伝説的なカルチャー誌「here and there」を発行している。林さんのお仕事は国内の雑誌や、「Purple」といった海外の先鋭的なカルチャー誌でもこれまでたびたび目にしてきた憧れの一人。
本書籍にアーカイブされたテキストを読むとき、少なからずファッションというものに関わっていた’90年代の僕の日常にも、ほんのわずかながらだがだぶってみえてくるものがあり、とても身近に感じると同時に、どこか遠くにいざなわれるような感覚を感じさせてくれる名著であることは間違いがない。

この本には’90年代、ファッションや写真の周辺でアメリカやフランス、ベルギーやオランダ、日本などで同時多発的に巻き起こったガールズ・カルチャー、「ガーリー・ムーブメント」を起点に、同時代的な視点で、そこで起こっていた出来事が当事者としての林さんの視点で綴られているところにリアリティを感じる。しかも、「ガーリー」といったパーソナルな「小さな物語」が、当時ハイ・ファッションのビッグメゾンの取材をしていた編集者である林さんの視点によって見いだされるところに特異な流れを感じた。
この本に登場するソフィア•コッポラ、ミランダ•ジュライ、長島友里枝、スーザン•チャンチオロという、いま僕らのライフスタイルを刺激する女性たちの存在は、その活動の端緒をこの’90年代に見いだすことが出来ることをこの本は克明に記録しているが、僕ら世代にあって当たり前なこの事実を、どれだけの今の若い世代の彼ら彼女たちは知っているのだろうか?

’70年代に起こったフェミニズム運動では、女性たちは声高に革命のメッセージを当たり前な日常の中から掲げたが、’90年代、「ガーリーたちの時代」の女性たちは、ことさらに大きな声でメッセージを発しない。そのスタンスは、「あれこれ言うより行動で示す」(「拡張するファッション」P46)。そんな彼女たちの態度表明にもあらわれている。
国家という大きなものの価値が全世界規模で、がくがくと音をたて揺らぎ始めたようにみえる現在、そんな大きな物語に依拠するものとは違う、小さくても確実なコミュニティが生み出すクリエーションにこそ価値があることが分かってきた。この本で綴られる’90年代の女性たちによる静かな革命は、そのことに気づいた「今」という時代背景とも確実に共鳴している。

この本のなかで繰り返し述べられるのは、情報が洪水のように氾濫したゼロ年代と、その萌芽をまだ内に秘めていた’90年代におけるファッションを巡る状況の違いだ。’90年代、欧米の主要なメゾンはパリでコレクションを発表することで世界のトレンドをつくり出してきた。と同時にそこを訪れることでしか体験することのできないショーを中心に繰り広げられる非日常的で華やかな舞台裏は、当時ファッションにある一定以上の憧れをもっていた人びとにとっては、コレクションとして発表される作品以上の情報としての価値をもっていた。
コレクション以上の価値をもっていたそれらトレンドを生み出すファッションショーの華やかな舞台裏は、ゼロ年代以降の情報化の大波のなかで、ウェブでほぼリアルタイムに近いかたちで公開されるようになり、それを取材するジャーナリストたちだけのものではなくなったという。
それを考えるとウェブを中心にした情報インフラの整備が高度に始まった1995年以後(この年は、1月に阪神・淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件が起きた時代のターニングポイント)における、最大の転換点といえるテン年代のこのタイミングで、この時代の興味深いもののほとんどが誰に言われるでもなく自発的に発生した’90年代カルチャーが、文字というかたちで記録されたこの本の重要性は、計り知れないものがあるに違いないと僕は思っている。

ファッションという従来「目まぐるしいサイクルで流行が変わる消費産業」(「拡張するファッション」P76) に対し、この’90年代という時代に生まれた「ファッション」には今、それまでの制度的なモードやファッションの考え方をベースにしながらも、ファスト・ファッションといわれる消費中心のファッションとも、いわゆる「定番」という考え方とも異なる意味での新しいルックの登場を予感させる。
そのことはこの本にも記述されているように、この時代に生まれたファッションは、ファッションとは異なる分野にいる人たちにこそ、刺激的なものであったというその事実に証明されているのではないだろうか。
「拡張するファッション」において示されているのは、多様化した社会において、いつの時代も変わることのない、変化することを恐れない人びとが今もなお発信し続ける新しい時代に向けたメッセージだ。そしてグローバルな情報網を武器にいまなお席巻し続ける消費産業に対し、それと対峙しながらも、それぞれの自己実現のために同じ衣服というかたちあるものを武器に、声高に叫ぶのではなく「行動すること」で向き合っている僕たちの時代のファッションの姿なのである。

NEW, NEW YEAR 2017

2017年01月10日 

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HAPPY NEW YEAR 2017.
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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新年は毎年都内をランすることから始めています。
今年は丸の内周辺を重点的に走りました。

この時期の人通りも車も少ないかと思いきや、都心は結構混雑しています。
コンビニも24時間営業、百貨店もスーパーマーケットも元日から開けるような時代になってからは、日中の混雑を避けるには、少し郊外に足を伸ばさなければなりません。

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一週間ほど前のクリスマスには大にぎわいだったであろう外資系大手宝飾店も元日から開いている時代です。
ひと昔前には、三ヶ日はどこも開いておらず、正月休みには親戚まわりか初もうでに行くほかありませんでした。そのような時代の東京は、初もうで客でにぎわうお寺や神社以外、どこに行っても人も車もまばらでした。子どもたちはお年玉で懐が潤っていても、それを使うには三ヶ日開けまで待つほかありませんでした。
そんな東京の風景が実は大好きでした。

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街が動いているということは、人が働いているということです。
東京国際フォーラム前では清掃員の方がエントランスの落ち葉の掃除をしていました。
おや?枯れ葉がタイルの溝に沿ってきれいに一直線に集められています。
それをちりとりと箒でかき集めています。
新年から丁寧なお仕事に心が洗われる思いがしました。
人が見ていないところでも決して手を抜かない。
自分自身普段から心がけていることですが、あらためて身が引き締まる思いです。
外に出て、いつも新鮮なまなざしで街と向き合うことで、小さな新しい発見があるものです。

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それは、外だけでなく、自分の心の中にもいえそうです。

人やものごと、そのすべての出会いを当たり前と思わず、同じことの繰り返しと考えず、つねに新しいものと捉えること。
そうすることで、見えてくるもの、得られるものは少なくないはずです。

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目の前のことといつも新鮮の感覚で向き合い、あますことなく、できうる限り味わいつくすこと。
そんな当たり前なことを、今年は心がけていきたいと思っています。

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ホンマタカシ氏インタヴュー 
ドキュメンタリー映画の方法論について、あるいはその不可能性について。〜後編〜

2016年12月10日 

あなたは、あたしといて幸せですか?
(C)Takashi Homma New Documentary

いよいよ写真家ホンマタカシ氏による4作品からなるドキュメンタリー映像作品の特集上映が渋谷のシアター・イメージフォーラムで始った。ニュードキュメンタリーとは、これまで写真作品を題材にホンマ氏が取り組んできた写真のテーマ、あるいはコンセプト。後編ではホンマ氏初の長編作品について、ホンマ氏が見据えるものについてお話をうかがった。

「After 10 Years」で撮りたかったもの。

ーー今回の4作品の中で上映時間もそうですが、「After 10 Years」が占める比重というのは大きいと思うのですが、そこで撮りたかったものはどんなことでしょうか?

それにはいくつかあって、建築を好きな人がバワの手がけたリゾート建築を映像を通じて追体験してもらってもいいし、あと今回分かったのが、映像では掃除をしているところをしつこく撮っているんだけど、結局ホテルの仕事って掃除なんだよね。よくよくホテルの人を見ていると一日中掃除をしていることに気がついて。それを丹念に撮影しています。映画を観てもらえれば分かると思うんだけど、一口に掃除といってもいろいろあります。箒で掃くことひとつをとっても芝生の上、庭、タイルの上とか、場所によっていろんなやり方があって、それを見るのもいいと思う。あとワイズマン作品になくて僕だけがやっているのが、インタヴューです。本作では10年前に実際に被災している従業員4人にインタヴューをしているんだけど、津波という実際はひとつの事象に対して、記憶はその4人が4通りなわけ。その微妙なズレが興味深いんです。それって日常にも普通にあることで、今ここでこのコップが倒れたとして、それを誰かに説明するときに、君と僕とでまったく違うということがあり得るわけです。この映画でいえば4人の記憶の微妙な違い、そういったことにものすごく興味があった。それと同じく被災したイギリス人にもインタヴューをしているんだけど、スリランカ人と西洋人という宗教観の全然違う人種では、津波に対する受け取りかたも全く違っていて。それも面白かったですね。

ーー日本でも近い時期に3.11があって、日本人が経験したことと照らし合わせるのも興味深いですね。

そうそう。だから、僕が3.11に関して当時東京にいて被災しているといっても、東北の津波に関しては当事者ではないから何も語ることは出来ないんだけど、遠くスリランカでもこの映画を撮りながら東北のことを考えていました。今東北で被災した人にインタヴューしたとしたらとても悲しい顔をすると思うけど、さらに10年経ったらその表情も少し変わるかもしれない。それも人間なんじゃないかということも、この映画で伝えたかったことのひとつにはあります。だから何かに対して、こうでなければいけないというのは実は怖いことなんじゃないかと思っていて。最後のスリランカ人のインタヴューなんか、笑いながら思い出話をするんだよね。そのことを単純にけしからんとは他人は言えないんですよね。

ーー物事の捉え方は時間とともに変化することはありますからね。

そうなんですよ。だから、あることが起こってすぐその後に撮らなくても、10年後には10年後のドキュメンタリーというのものがあると思うんだよね。

ーー映像を撮る上でワイズマン以外に参照したものはありますか?

ワンビン、アピチャッポン、ゴダールのいくつかのドキュメンタリー的な所かな。だから劇映画ではないといっても、興行を度外視したような映画の中にも、映像作品における豊かな鉱脈って間違いなくあると思う。

ーードキュメンタリーはそういったものから解放されているところがあるとお考えでしょうか?

ただ、諏訪さんと話していたのが、ドキュメンタリー映画自体もジャンル全体でいえば、ある種膠着状態にあるということが言えると思っていて。それは撮り方や手法についてもそうだし、何か伝えたいことがなければ撮ってはならないということもあるように思う。何分か一度にクライマックスがあるべきとか、まるでバラエティ番組みたいなところもあるよね。

ーードキュメンタリーにしても、劇映画にしてもある種の時代精神がそこには宿っているような気がします。

それはあるかもしれないけど、僕自身は使命感ではなく、好きでやっているだけですけどね。ただ全体化に対する反抗心は必ずあるよね。

最初にカケスがやってくる
(C)Takashi Homma New Documentary

ニュードキュメンタリーについて

ーーホンマさんのテーマでもある「ニュードキュメンタリー」の最新作が映像作品のオムニバスであることにはとても興味があります。そもそも「ニュードキュメンタリー」とはどのようなものなのでしょうか?

「ニュードキュメンタリー」って、結局はドキュメンタリーってこういうものだと考えている人たちに対する挑発的な言葉だよね。ドキュメンタリーに「ニュー」ってなんだと。それに対してもまた反発する人もいるかもしれないけれど、いろんなジャンルに「ニュー」というものがあるんだと多少なりともひっかかってもらえればそれでいいのかなと。

ーー写真にもモダニズムがあって、その乗り越えとしてのポストモダニズムがありますが。

もちろんニューじゃなくて、ポストドキュメンタリーって言ってもいいんだけど、ポストっていうと本当に乗り越える感じが強すぎて。ニューだとどちらかというともっと軽やかというか「横道」だよね。いわば別の道。だから「オルタナティブドキュメンタリー」でもいいと思う。

ーーそれとホンマさんの映像作品には撮る対象としての現象、あるいは環境としての音に対するこだわりを感じます。

それはそうだろうね。さっき言ったみたいに映像が音に従属してはダメだし、その逆もそうだよね。映像と音が対等にできないかなといつも思っています。

ーー「ニュードキュメンタリー」としてホンマさんが繰り返し問いかけていたのが、写真とは何か?ということでした。それは同時に写真に写っているものは真実であるということを改めて問い直すというものでしたが、映像でいえば写っている時間が写真より長い分、真実と虚構の関係性がよりせめぎあっている感じがするのですがそのことについてはいかがでしょうか?

そういった意味では映画の方が写真よりも、こう見てくださいと見方を引っ張ってしまう強さはあるとは思う。

ーー映像作品はビデオで撮影されているのですか?

写真家の中平卓馬さんのドキュメンタリー「きわめてよいふうけい」が16mmでそれ以外は全てビデオで撮影しています。

ーーニュードキュメンタリーをコンセプトに今後も作品を発表されていく予定ですか?

今後のことはまだ分からないですけどね。また新たなキャッチフレーズを考えるかもしれないし。でも僕の中では「東京」と「ニュー」は大きいね。

ーー今回の「After 10 years」のリゾートの風景もそうですが、ホンマさんの1998年発表の写真作品「東京郊外」にも行き場のない気持ちを解き放ってくれるような、楽天的な開放感を感じました。

開放感もそうだけど、僕の中では「どこでもない場所」というのがもうひとつあるんだ。それはSF的なというか。「東京郊外」といっても、単に「東京の郊外」だけではなく、いろんな場所の郊外の写真を一冊にまとめ上げて、架空の東京郊外という場所を作り上げている。それはリアルな東京とは全然違う。そういった意味ではSF性があるよね。それは波を撮ったシリーズである「NEW WAVES」もそう。だからさっきはSF的と言ったけど、その飛躍がなければ、ただ実直に撮っているだけではこうはならなかったはずなんだ。一対一の関係だけしかなかったら、あらためてみる意味も撮る価値もないんじゃないかな。

ーーホンマさんには僕たちには見慣れた風景が少し違ってみえているのかもしれませんね。

それははっきりとは分からないけど、人によって風景がまるっきり違って見えているということは絶対あるよね。

2016年10月、東京・恵比寿某所にて。

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ホンマタカシ氏

1962年東京都生まれ。1999年、写真集『東京郊外 TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版)で第24回木村伊兵衛写真賞受賞。「Babyland」(リトル・モア /1995年)、「Tokyo and my Daughter」(Nieves /2006年)、「NEW WAVES」(PARCO出版 / 2007年)他、著書「たのしい写真 よい子のための写真教室」(平凡社 / 2009年)、作品多数。
http://betweenthebooks.com/

「ホンマタカシ ニュードキュメンタリー映画 特集上映」
2016.12.10(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
(1週目昼興行、2週目レイトショー)
制作:between the books  配給協力・宣伝:mejiro films

◎公式サイトhttp://betweenthebooks.com/
◎劇場版予告 youtube https://www.youtube.com/watch?v=7OS-TPIEynI
◎公式Facebook https://www.facebook.com/Newdocumentary2016/

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加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
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