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民具木平の市場調査 第16回 東京アートブックフェアとケミカルウォッシュ ”THE TOKYO ART BOOK FAIR & CHEMICAL WASH”

2016年09月30日 

今年は9月16日(金)から9月19日(月)の4日間、京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパスにて開催された THE TOKYO ART BOOK FAIR に行ってきた。

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前々から気になってはいたもののなかなか来れず、今回はじめてTABFを訪れました。

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外苑のこんな場所にこんなおしゃれなキャンパスがあって、フェアがこんなにもりあがってるなんて今までまったく知らなかった。

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今回僕が当フェアに参加した理由はただひとつ。フェアの数日前にフェイスブックのタイムラインに流れてきてた「ケミカルウォッシュ」というユニットをこの目で見るためだ。

腰の重いぼくが、これだけは自分の目でしかと見届けなければと動いたのは、思い返せば2005年9月28日(水)高円寺の円盤で行われた東大卒、長身ラッパーのゾノネムさんの初ライブを見に行ったとき以来ではないだろうか。当時(今も)夜型だった私の日常の中でJ-WAVEのTR-2という深夜番組の、火曜日のみうらじゅんさんの回と、水曜日のリリー・フランキーさんの回は特別で、毎週欠かさず聞いていた。Podcastなんてなかった時代なので、カセットテープに、途中からはパイオニアの音楽用のCD-Rレコーダーを購入して、可能な限りエアチェックを行っていた。それは後におなじくパイオニアの録画用のハードディスクレコーダーへと媒体が代わり、ラジオチューナーから赤白のラインをそれに接続して、録音時間の壁から解放されるという便利さを手に入れるのであるが、ポッドキャストやYouTubeなるものが普通となった今からしてみれば、自分すごい頑張っていたなとしみじみと思う。その伝説的なゾノネム初ライブでは円盤の狭い階段の長蛇の列をどうにかかき分けて、僕は夢中になってSONYのマイクロカセットのテープレコーダに音源を記録した。

TR-2に関しては、火曜も水曜もどちらもおもしろかったのだけれど、特に水曜日は、某雑誌の編集をされていたラッパーのゾノネムさんや、当時学生だったDJインターネットさんなどのいわゆる業界の外の逸材たちの才能が電波から溢れだしてきた時期であり、ちょうどその頃発売されたリリーさんの著書「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」が売れに売れたりと、内と外、素人と玄人、リスナーとパーソナリティ、現実と虚構などという垣根を容易に飛び越えてのメディア・ミックス感がおもしろかった。

ひとつ前の時間帯の24:30〜26:00にかけてオンエアされていたSOUL TRAINという番組から、26:00〜28:00までのTR-2という深夜にリスナーと作り手が一体となって番組をつくっているグルーヴ感はエキサイティングで、とても聞かずに寝てなどはいられなかった。

要はまあ、それくらい気になったということである。

「クラフト」ということばが飲食の世界でももてはやされ、牛丼チェーンの松屋でさえもが「無添加」の大きな三文字を掲げているこの時代において、クラフトからケミカルまで、両極を示してみせようじゃないかという江口宏志さん(ケミカルカクテル開発・ディレクション)の気概というか、壮大な遊びの両極の片側を僕も生で見ておきたかったということです。

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ケミカルウォッシュといえば僕がものごころつく頃まさに流行っていて、自分もご多分に漏れず、蛍光イエローのスーパースター(ミズノ)のサイクリングキャップに、バドワイザー柄の白いTシャツ、足元は国道沿いの靴流通センターの外のワゴンで売っている380円の白いデッキシューズで紐を蛍光グリーンにエディットした。背中面に黒と金色の大きなBATMANのステッカーを貼った黒い合皮のリュック、そしてズボンはおさがりのツータックのジーパンを母の協力のもと風呂場で漂白剤で脱色したケミカルジーンズというのが小学校4〜5年生の頃の僕の一張羅だった。スーパースターとか、とんねるずとか、懐かしい。

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午後に訪れたときにはすでに5品目のうち3つはSOLD OUTだった。

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肩の部分が裂けたGジャンを着用したケミカルガールが後ろ向きになにやら怪しい袋から何かを取り出している。
普段は自然光での撮影がほとんどだけど、ケミカルガールにはストロボの光がよく似合う。

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理科の実験室や保健室でみられそうな容器に数字やアルファベットの頭文字が一文字だけ貼られている。
見るからにケミカルな白い粉末に一抹の不安を覚える。

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この日は都合によりアルコールを呑むことができなかったため、偶然出くわした西田さんが注文したカルーアミルクの調合作業を見せていただいた。
イキイキとした表情で、ケミカルスポイトを巧みに使い5番というラベルが貼られた瓶から液体を吸い上げるケミカルガール。

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完成したカルーアミルク。途中牛乳も入れていて、なんだか健康そうじゃないか。
一口というか半口、なめる程度テイスティングさせていただいた。味は悪くない。
西田さんはおいしいと言って呑んでいた。

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ケミカルドリンクも味見させてもらったことだし、TABFの会場内でも見てみようと思い、建物の方へ向かうと、人混みの中にケミカルガールを発見。
待ち合わせだろうか。おもわずシャッターを切る。(後日、ご本人の了解を得ています。)

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見つかってしまった。
ピントが合ってなくても、なんかキラキラしている。江口さんもケミカルガールもすごいなあ。(後日、ご本人の了解を得ています。)

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中では様々な出版物とそれに関わるありとあらゆるモノが売られており、にぎわっていた。

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インターナショナルなセクションも。

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世界で一番エッジーなサッカー誌と思われる、SHUKYU Magazineも。

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建物を出ると日が暮れており、ケミカルカクテルが全て完売していた。
ケミカルウォッシュが次はどんなイベントに出店するのか、目がはなせない。

途中、初めての方や、普段なかなか会えない方々にお会いできたりと、TABFの注目度の高さを確認できたと同時に、皆様のいいオーラを分けていただけたりと、良いリサーチとなった。

たった一口でしたが、久しぶりに摂取した牛乳成分とおそらく入っていたであろうベーキングパウダー的なケミカルのケミストリーに負け、お腹がパンパンのまま帰路についた。

祝・初の片貝まつり

2016年09月20日 

一昨年のダイヤリーで書かせて頂いたが、新潟出身である私は、
毎年8月2、3日は長岡花火を観るべく帰省するのが習慣になっている。

自分の地元に長岡花火があることをいつしか誇りに思うようになっていた私は、
全国各地が花火シーズンを迎える夏のひとときも「花火鑑賞は長岡花火で十分、十分」
などと、どこかで決めつけていたようなところがあったかもしれない。

だから例えば両親や友人から長岡の隣町・小千谷でも「片貝まつり」という花火大会で、
大きな花火が上がることを聞いても、「そうか〜」とは思っても、
こちらは毎年9月9日、10日だというし、自ら行こうという気にはならなかった。
そんな私が、今年はその片貝まつりにご縁があった。
なぜなら東京の友人が片貝の花火を見たいと提案してきたのだ。
長岡花火も一緒に見たことのあるその友人が、
「長岡もいいけれど、小千谷の片貝まつりで上がる花火はもっと素朴で魅力的だと思うの」
というのだ。すでにその時点で友人は、宿泊用のホテルも花火鑑賞用の桟敷席も
確保してくれていた。その本気度たるや。
これはご縁なんだなあと確信した私は「ぜひ行きたい」とすぐに返答をした。

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ポツリポツリと降ってくる雨に迎えられながら、9月9日、小千谷は片貝まつりの会場へ到着した私たち。

なんだろう、この土着的なムードは。会場に足を踏み込んだ瞬間感じるそのムードは、
長岡花火の質とはまた全然違っていた。それはまるで
小さな歴史の積み重ねの上に自分が立っているという感触。
このムードは即席ではできない。長い長い時間がかかっている。それだけは皮膚感覚でわかる。

聞けば納得だった。片貝まつりの歴史はなんと400年。
江戸時代、町内の各家庭で花火を作って個人や近所などの少人数で打ち上げをしていたことが、
始まりだったという。その精神は引き継がれ、現在もなお、老若男女問わず、
様々な思いを込めて花火を奉納している。
そうやって片貝まつりは紡がれてきたのだ。

上の写真はまさに、人々が奉納した花火が記された看板だ。
文字の凛々しさ、さらには文字組みの美しさに惚れ惚れする。
この看板を見ただけでも、歴史の重みと人々の想いが伝わってくる。

 

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片貝まつりは、日本で最初に「正三尺玉」や「正四尺玉」を打ち上げたことでも有名で、現在もまた、世界最大といわれる「四尺玉」が打ち上がる。

会場にはその原寸大の玉も置かれていて、人々が終始囲んでいた。

 

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浅原神社の裏の大木から垣間見る花火。何とも言えない風情がここにある。

視界を遮るものがない長岡花火に親しんでいた私が、花火を遮るものに愛おしさを覚えるなんて。
自分でもびっくりだ。私たちの祖先もまた、同じ風景を見ていたのだろう。
見えないけれど、命はつながっている。

 

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神社をこえて、桟敷席へと向かう。

暗闇の中、席の番号を表した緑とピンクの提灯が、道を照らす。
等間隔席の明かり。それは日常から非日常へと私たちを運んでくれるようだった。

「◯◯ちゃん、3歳の誕生日おめでとう」
「◯◯、還暦おめでとう」
個人の時間と想いがめいいっぱい詰まったメッセージとともに、
それぞれに奉納した花火が、ドーンと打ち上がっていく。
小さな単位の祈りや祝祭が、花火という共通の固体によって、みんなのものになる。
なんて素敵なハレの日なのだ。

長岡花火の大衆の祈り、片貝まつりの個的な祈り、どちらも素晴らしい新潟の文化だ。
それを体感することができて、本当に良かった。

「来年は私も片貝で花火を奉納したい」。

花火を見ながら友人がぽつり。
え!!本気??と思ったが、その表情からしてどうやら…..本気のようだ。

 

みなさん、私の2017年9月9日、10日の予定はすでに埋まりました。

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巨大な作品の背景にあるもの

2016年09月10日 

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世界の先鋭的な写真界の潮流の一つであるベッヒャー派の作家の一人であるドイツのトーマス・ルフの日本では初となる大規模個展が東京国立近代美術館で開催中。
トーマス・ルフは1958年ドイツ生まれの現代ドイツを代表する写真家の一人。本展にも出展される「Portraits」(1986-)で注目を集めた。

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その作品は自身で撮影した写真に限定されない。近代以降の報道写真や記録写真、インターネット時代ならでは膨大な情報空間を象徴するように、報道機関の写真アーカイブやネット上のデジタル画像などの既存の画像を用いて作品を制作する。さらにその画像を作家自身のイメージにしたがいPC上でデジタル処理し作品化したりする。ルフがいうところの写真のメディアとしての側面に着目したその作品は、写真、あるいは写真の存在そのものへの批評性にみちている。

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上の二つの作品はルフの代表作でもある「jpeg」(2004-)シリーズ。jpegとは文字通り画像の一般的な保存形式であるjpegからきている。RAWやtiffなどと比べるとデジタルが画像の比較的軽い保存形式であるjpegの弱点を逆手にとり、画質の粗さ、モザイク状のブロックノイズが作品上にあらわれる。それがこのルフ作品の独特の雰囲気を形づくっている。ちなみにこの作品自体もjpeg形式で保存された写真をもとに印刷されたものだという。

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宇宙や未来をモチーフにした作品は、写真を志す以前のルフ少年の憧れがもとになっている。

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「ma.r.s.」(2010-)シリーズはNASAの探査船が撮影した画像を素材とした作品。ルフはそれらを正規のルートで購入し、それを自らのPCで画像処理し作品としている。オレンジの作品は火星の幻想的な風景。
ルフの作品はアート市場で高額で取引されていることでも知られている。この作品はちらっと聞いたところでは数千万円の値がついているという。

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本展中でも最も近作となる「press++」(2015-)シリーズは、発見されたある新聞社のプレス画像=報道写真を素材としたもの。本展では日本の新聞社から提供された同シリーズの最新作4点が展示された。素材は未来をテーマに、日本の新聞社の膨大な写真アーカイブの中から、新幹線、EXPO’70などルフ自身が選んだという。ちなみに写真の表面にみられる文字や判は、写真プリントに裏書きされた文字や印のスキャン画像である。

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ルフは写真を本格的にはじめた当時、写真作品をつくることが生業になるとは思っていなかったという。当時の写真を巡る状況がそのようなものであったのだ。それが今では古典絵画や近代・現代絵画や彫刻と同じようにアートとしての評価が確立されている。
こちらが本展の入り口に展示された初期の代表作である「Portraits」。まさにアート写真の”古典”としての堂々たる風格さえ感じる作品である。
巨大に引き伸された肖像写真。真正面を向いてこちら凝視する証明写真のような作品だがなぜかものすごいインパクトをもって見るものに迫ってくる。あくまでフラットに並列的に。これはルフのアカデミー時代の師であるベッヒャー夫妻のタイポロジー(=類型学)のスタンスを継承している。あるいは、先ほど証明写真といったが、これはまた囚われ者を写した写真的でもある。これらは発表以降現代の監視社会を表象するという批評もある。写真は大きくなるだけで、ことなる存在になる。写真、ポートレート、絵画でも多用されてきたスタイルである肖像画というものに対するルフの批評的な試みが感じられる。

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「nudes」(1999-)は、インターネットのポルノサイトから入手したヌード画像を加工した作品。輪郭がぼやけた抽象的な作品は絵画的でもある。
これら既存の画像データをもとに作品を制作するルフのスタンスは、撮られた写真は真実であるという、写真表現のあり方をも揺さぶるものである。報道写真の例をみるまでもなく、撮影された写真は写真の発明以来、長いあいだ世界の真実を伝えるものだと思われてきた。だが、パーソナルコンピュターの普及により写真画像は簡単に加工できることが自明になった。そんな時代において、写真は個人の美的感覚を拡張するものであることはいうに及ばず、写真の証明性を担保するものは皆無になったということでもある。
そんな写真が置かれた状況に、ルフの作品は科学、あるいはグラフィックデザイン的な方向性を志向するようになったといえないだろうか?

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「Substrate」(2001-)。日本の成人向けコミックやアニメ画像などをもとに「イメージの解体」をさらに推し進めたラディカルな作品。「nudes」と比べると、もはや目を細めてもいかなる画像も浮かび上がってこない。

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これは電磁場の線図、数式を元にした作品「zycles」(2008-)で、もはや写真画像をもとにしてもいない。ネットや宇宙空間の中に浮遊するノイズのようにもみえる。

インターネット上に無数に溢れる画像に対する感受性がもたらす受容と、イメージの解体、そしてその興味は科学にまで及んだルフの作品世界。
写真はもはや個人の思いやイメージを具現化に近づける道具になったのかもしれない。

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来日したトーマス・ルフ氏は、「写真とはすべて社会的なものである」と語った。

写真はかくも自由で表現も多様である。これらは作家の世界の見方の一つの表現であり、表明でもあるのだ。
巨大化したルフの作品は、みるものとみられるものとの関係において、否が応でもその関係性にも問いを投げかけている。それは自己の存在やアイデンティティのあり方にも揺さぶりをかけてくる。目に見えるものを疑え、そんな声がルフの巨大作品は語りかけているような気がした。

「トーマス・ルフ」展
東京都国立近代美術館
会期:開催中〜2016年11月13日
※2016年12月10日より金沢21世紀美術館に巡回

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Authors

加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
野本 哲平野本 哲平