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Diary

ぼくの好きな北欧デザイナー

2016年06月20日 

今回はぼくの好きな二人の北欧のデザイナーについて書こうと思う。その二人とはともにスウェーデン出身で、現在も人気の高い伝説的な器の作家だ。一人はスティッグ・リンドベリ(1916-1982)、もう一人はベルント・フリーベリ(1899-1981)。おもに量産品の器のデザインを手がけたリンドベリと、ろくろを使って作品を制作することにこだわったフリーベリ。そのスタンスはことなるが、日用品である器を暮らしの中において芸術の域にまで高めた仕事において共通しているのだ。

スティッグ・リンドベリは1916年スウエーデンのウミュー生まれ。スウエーデンの名門王立デザイン・アカデミー・コンストファックで陶芸を学んだ。1937年にいまも残るグスタフスベリ製陶所に入窯、当時絶大な影響力と実力を持ち、北欧工芸の父ともいわれるヴィルヘルム・コーゲのアシスタントの一人となる。当時のちにグスタフスベリを共に支えることになる陶芸家ベルント・フリーベリもその門下生にいた。

4年後、1940年には同社のアート・ディレクターに就任し、数多くの量産品の器をデザインすると共に、スタジオ作品の一点物・アートピースも数多く手がけた。その素材もセラミックにとどまらず、当時の新素材であるプラスチックを用いた作品も数多く手がけ、最新の素材にも旺盛に取り組んでいたリンドベリの実験精神を垣間見ることが出来る。1957年には母校の移転に伴いコンストファックの教授に就任し、その役職を1970年まで務める。
日本との関わりも少なくなく、1959年には日本での北欧デザイン人気の盛り上がりにともない、西武百貨店で開催された『スティッグ・リンドバーグ作品展』のために来日も果たす。当時、西武のヴィジュアル・コンサルタントをしていたデザイナーの河野鷹思氏からの依頼もあり、西武百貨店の商品包装用紙のグラッフィック・デザインを担当している。こけしややかん、ミシンなどの日本的な日用品がモチーフとして使われ、リンドベリ独特のタッチで描かれたそのグラフィックはいま見ても新鮮で、昨今のリンドベリ再評価に共ない出版された幾多の書物でも、数少ない海外での仕事ではあるが重要な作品の一つとして紹介されている。

1971年には再びグスタフスベリ窯に戻り、日用品のデザインとデッサン、そしてアート・ピースや様々なオブジェの製作と精力的に活動する。
陶器作品の他に数多くのイラストや絵本や水彩画を描き、中でも50年代に発表された絵本『ちゃっかりクラーケル』は可愛らしいおとぎ話の世界がリンドベリらしい繊細なタッチで描かれ、子供たちはもとより、大人たちをも魅了し続け、現在まで新しい版を重ね読まれ続けている。
作品における温かみに溢れる繊細なモチーフ使いは、リンドベリの性格を評して『ミス・リンドベリ』と呼ばれていたことからも窺い知れるように、巨匠として崇められた晩年まで一貫して変わることがなかった。自然をモチーフにした清楚で美しい図案のデザインやその造形に、その優しく穏やかだった人柄があらわれている。なかでもヴィンテージで人気の高かった、緑の葉っぱを図案化したテーブルウェアシリーズ「ベルサ」は、近年復刻されて人気が高く、リンドベリ人気は地元北欧はもとより世界中で再燃している。

ベルント・フリーベリはスウエーデン南部の港町ホガナスで生まれる。13歳のころに創業したばかりの陶器工場ホガナス窯で陶器制作の助手として働き始め、以降、地元のいくつかの陶器メーカーにろくろ職人として勤めるようになる。ジャムポットなどの量産品における単純だが確実な基礎となる仕事を身につけることになる5年間の修行期間をへて、当時からスウエーデンと同様に陶芸の盛んであったデンマークに渡り1934年までそこで働く。地元とデンマークでのその修行がのちのフリーベリのろくろの卓越した技術を培ったのであろう。その年、35歳でスウエーデンに帰郷したフリーベリは、グスタフスベリ窯で働きはじめるようになる。当時グスタフスベリ社にはアート・ディレクターとして活躍していた、名工ヴィルヘルム・コーゲがおり、フリーベリはコーゲのもとで手仕事の重要性を学び、単に技巧に走るのではなく、感性豊かに生活に根差した地に足の着いた作陶技法を学ぶことになる。それは陶芸家にとって土は生き物でありその作風は採土された土地の風土に従うことでもあった。

当時グスタフスベリには量産品を生産するための工房と、アートピースと呼ばれる1点物を製作するための専門の職人を擁する工房があったという。ちなみにリンドベリとフリーベリ、二人の師匠であったコーゲは独自の発展を遂げたスウエーデンのモダニズム思想を、人々の生活に関わり深い日常品として提供することを奇をてらわずに実現したことで知られている。また日本との関わりも深く、陶芸家浜田庄司とも親しく交流を持った。
フリーベリに遅れること3年、1937年からコーゲのもとでともに修行を積んだスティッグ・リンドベリがデザイナーと呼ばれ、プロダクト寄りの量産品のデザインを中心に手がけるようになるのとはことなり、フリーベリは44年に独立と同時にグスタフスベリ内にアートピースを作るための工房を構え、中国と日本の伝統的な陶器に影響を受けながら独自の作風を作り上げていくようになる。
必要以上の装飾を排除し、研究ののちに習得した東洋的な艶のある釉薬を施すことで、のびやかな器のフォルムと静かな躍動をもったその佇まいのなかに、静謐な奥深さを表現し、それを封じ込めることに成功している。
3度もミラノ・トリエンナーレで栄誉ある金賞を受賞するなど北欧のモダニズム黎明期からミッドセンチェリー期にかけて人気を誇った。子供の手に収まる小ささのユニークなミニュチュアのスタジオ陶器作品も手がけ、晩年においてもその創作意欲に陰りはなかった。作品は芸術家や皇族にも愛され、ストックホルムで国立博物館の永久コレクションに選ばれ、コペンハーゲン装飾工芸館、デンマーク博物館、そしてニューヨークのメトロポリタン美術館などに収蔵されている。世界、そして日本での人気も高く、フリーベリの作品は高価だが、器愛好家たちの憧れとなっている。◯ ◯ ◯ ◯ ◯
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左がスティッグ・リンドベリ、右がベルント・フリーベリ
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加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
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