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民具木平の市場調査 第13回 ルイ・ヴィトン  ”VOLES VOGUEZ VOYAGEZ LOUIS VUITTON”

2016年06月30日 

この日記では「民具木平の市場調査」というタイトルの通り、庶民の私がさまざまな市場を調査する日記であり、結果的に調査する対象も庶民的なものが主となるのが常ではあるのですが、なにも端から庶民的なものに限定しているわけではございません。それを裏付けるべく、今回は、庶民ではなく主に貴族をとりまく市場を調査してきました。

そんなわけで麹町の特設会場で行われていた ”VOLES VOGUEZ VOYAGEZ LOUIS VUITTON”にいつものごとく会期終了直前に滑り込みで行って参りました。
http://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/heritage-savoir-faire/tokyo-expo#/article

会場はたくさんの観覧客で混み合い、中には『招待券』で入場したと思しきヤンエグ風の男が連れの女性に「招待客と一般客で、見る時間帯を分ければいいのになあ」などという、ある意味現代の階級社会を彷彿とさせるような発言が聞こえてきたりと、いわゆる一般的な美術館やギャラリーでの催しとは少しだけ違う雰囲気を感じました。

エキシビションでは過去から現在までの膨大な製品や、資料、道具等、普段見ることのできない膨大なアーカイヴが展示されていて見応え十分な内容であった。
全てに焦点をあててしまうととても16枚の写真には収まりきらないので、写真や紙の平面資料を中心に、「製品のつくられる現場」「道具」「旅」そして「アーカイヴ」を中心に調査の記録としておこう。

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入口を入るとすぐに、若きルイ・ヴィトンの肖像画が迎えてくれた。大きな円形というのはなんでこうも魅力的なのだろう。
ちなみにルイは16歳から荷造り用の木箱製造職人兼荷造り職人としてパリで働き始めた。鉄道が発達し始めた当時のフランスでは貴族達が “旅” に目覚め、自分専用の木箱を職人につくらせるというのがならわしで、ルイはその丁寧な仕事ぶりから、貴婦人達の間で次第に噂となり、ついにはベルサイユ宮廷人達を顧客にすることに成功したということである。ルイはいわゆる叩き上げの職人なのである。自分も同じくモノをつくる立場として、希望を持てるいい話である。

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元々が木箱の製作がルーツなので当たり前と言えば当たり前なのだけれども、木工にまつわる写真や道具等のアーカイブが予想以上に多くて、ワクワクした。

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時代が時代なので道具がとても原始的。
職人達の背後の棚には薄く挽かれた板材が積み上げられている。

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窓際に並べられた叩き台で箱を組み立てる。
手前には手押し鉋が確認できる。

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様々な道具が記された資料。もちろんモーター等はついていないし、西洋と東洋の違いはあれども、基本的に現在の道具と原理は同じである。

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大工道具の現物が並べられている。これは日本で言うところの毛引きであろう。

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出荷待ちの製品倉庫であろうか。箱が整然と並ぶ様子は見ていて気持ちがよい。

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手押し鉋盤で木端を削る職人のイラスト。

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こちらは表面にキャンバスが貼られていない、おそらく職人達が使っていたものと思われる木地のトランク。

「当社の努力の成果を挙げるならば、まずは木材を使用した平らなトランクを普及させたことであろう。多くの発明の中でも、1.細い木の板で保護・補強したトランク、2.野営用ベッド・トランク、3.密閉式の亜鉛製トランクが良い例であろう。そして、4つ目に2つの錠前の発明(2つ目は競合も模倣できなかった。)、そして集大成はロンドン店のオープンである。」ジョルジュ・ヴィトン

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こうした貴族達の写真を眺めていると、電車から車、飛行機と乗り物の変遷がみえておもしろい。

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飛行機と貴婦人。

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飛行機と貴婦人。
インスタグラムなどというサービスは当時あるわけはないが、まあやっていることは根本的には今と同じでそれもまたおもしろい。

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ユルゲン・テラーの広告キャンペーン。

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ガストン・ルイ・ヴィトンが古いトランクの所有者に送付した「質問表」、個人的なコレクションの充実を図ることを目的とした。1930年頃。
1930年頃、すでにこのような質問表を所有者に送り、過去の製品アーカイヴを構築しようとする姿勢が伺える。

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クライアント・ファイル

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「トランクの用途は実に多種多様だ。あらゆる注文に応えるべく、考えうるものを作りきったと思ったのも束の間、毎年新たな注文が舞い込むので、お客様が求めるものを想像しながら最善を尽くしている。それらを形にし、我々が過去に製作してきたリストに加わっていく。硬貨や腕時計のコレクション、ポロ競技用のクラブ、テニスラケット、タイプライター、口述録音機、蓄音機、写真機、X線撮影装置、釣具、ウィッグ、巨匠の描いた油絵、書物や手書原稿など、専用のトランクが次々に生まれた。最近では、大量の避妊具を収納するために作られたトランクもあったほどだ。」ガストン・ルイ・ヴィトン

庶民もいいですが、貴族もまたいいですね。

身体を動かして、世界を揺らす

2016年06月25日 

昨年、あることをきっかけにして、心と身体のバランスを崩してしまいました。

ここで座り込んでは一生立ち上がれなくなるような気がして
持ち前の(?)男前な根性をなんとか絞り出して、バランスを取り戻そうとしたのですが、
二進も三進もいかない無気力状態。そんな自分に途方に暮れながらも、
とにかく目の前の仕事はやり遂げなくてはと、床に這いつくばりながら仕事をする日々でした。
過去を嘆き、未来を憂う。とにかく「今」がすっぽりと抜けて、
どこに自分が向かうかもしれない、地に足がついていない状態だったと思います。

 

「身体を動かすと楽しいよ」。

 

そんな私にある日長年の友人が、声をかけてくれました。
私はその友人が数年前から通い始めたジムで、
充実した時間を過ごしていることは会う度に聞いていました。
信頼するトレーナーさんがいること、身体を動かすことで小さなことは気にならなくなったなど、
様々なエピソードを聞きながら、「いいね、いいね」と言葉を返していましたが、
それはどちらかというと彼女の人生にとっての「いいね」であって、
私自身はそのジムや身体を動かすということへの興味はあまり持てずにいました。
そんな私が、この時友人に誘われてなぜかすんなりと自然体で「行ってみよう」と思ったのは、
崩した体調を整えながら体力をつけたかったから、というのはもちろんあったのでしょうが、
それ以上に深い部分で、身体を動かすことで「今」という時間を取り戻せるような気がしたから、
というのが、今でこそ思う真実のような気がしています。

 

何でさっきはあんなこと言ってしまったんだろう。
締め切りは5日後に迫っているから、それに間に合うように今日はこれとあれをやって・・・。

 

などと、思えば社会人になってからはいっそう
毎日を過去や未来に費やしてきたような、そういう中でまるで子供が無心で公園を走り回るように、
「今」という瞬間に気持ちをひらいていくことが、どれだけ「今」の自分に必要か、
本能的に感じていたのだと思います。

 

「今」のど真ん中へ。
そのための手段として、運動という名のトレーニングが自分にとって必要だと思った私は、
友人に連れられて、体験トレーニングにチャレンジしました。

 

結果、

普段全く運動をしてこなかった私は、トレーナーさんにとても無様な姿をさらしたわけですが、
その一方では「今」という時間を久しぶりに実感できたのです。
息は上がり、これ以上ない負荷が身体にかかってくる。苦しい、でも気持ち良い。
そんな実感だけがトレーニングを支えるのです。

 

以来、そのジムに通うようになって半年が過ぎました。
まさか自分の人生に、運動という文脈が生まれるなんて思いも寄らない展開でしたが、
身体を知ることは、世界への入り口でもあって、
今、私は自分の世界が刻々と広がっていくのを感じています。
身体を動かすことは、自分が見えている世界を揺らすことでもありました。
揺らすことで、狭かった道が確実に広くなっていくのです。
筋肉も少しずつですが、ついてきました。わずかかもしれませんが心の筋肉も。

 

スポーツは人生そのものに置き換えられます。
だから人はスポーツに熱狂する。古くからオリンピックが世界の祭典であり、
世界の共通言語になりえた意味も、あくまで自分の解釈だけれど、
ほんの少しわかったような気がします。
そして、この運動の日々は、確かに仕事のアイデアにも繋がっていくのだから、人生は不思議です。
身体を動かすということ、オススメです。
繋がった先に生まれた新しい仕事のことは、またこのダイヤリーで書きたいと思います。
 
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オリンピック、楽しみです。命を燃やすハレ舞台です。

自分で身体を動かしてみて、世界の舞台に立つ選手の凄さを
わずかばかりでも知ることもできました。

写真は、
写真家の高橋マナミさんをきっかけに好きになった、
女子バスケ日本代表、吉田亜沙美選手でした。

ぼくの好きな北欧デザイナー

2016年06月20日 

今回はぼくの好きな二人の北欧のデザイナーについて書こうと思う。その二人とはともにスウェーデン出身で、現在も人気の高い伝説的な器の作家だ。一人はスティッグ・リンドベリ(1916-1982)、もう一人はベルント・フリーベリ(1899-1981)。おもに量産品の器のデザインを手がけたリンドベリと、ろくろを使って作品を制作することにこだわったフリーベリ。そのスタンスはことなるが、日用品である器を暮らしの中において芸術の域にまで高めた仕事において共通しているのだ。

スティッグ・リンドベリは1916年スウエーデンのウミュー生まれ。スウエーデンの名門王立デザイン・アカデミー・コンストファックで陶芸を学んだ。1937年にいまも残るグスタフスベリ製陶所に入窯、当時絶大な影響力と実力を持ち、北欧工芸の父ともいわれるヴィルヘルム・コーゲのアシスタントの一人となる。当時のちにグスタフスベリを共に支えることになる陶芸家ベルント・フリーベリもその門下生にいた。

4年後、1940年には同社のアート・ディレクターに就任し、数多くの量産品の器をデザインすると共に、スタジオ作品の一点物・アートピースも数多く手がけた。その素材もセラミックにとどまらず、当時の新素材であるプラスチックを用いた作品も数多く手がけ、最新の素材にも旺盛に取り組んでいたリンドベリの実験精神を垣間見ることが出来る。1957年には母校の移転に伴いコンストファックの教授に就任し、その役職を1970年まで務める。
日本との関わりも少なくなく、1959年には日本での北欧デザイン人気の盛り上がりにともない、西武百貨店で開催された『スティッグ・リンドバーグ作品展』のために来日も果たす。当時、西武のヴィジュアル・コンサルタントをしていたデザイナーの河野鷹思氏からの依頼もあり、西武百貨店の商品包装用紙のグラッフィック・デザインを担当している。こけしややかん、ミシンなどの日本的な日用品がモチーフとして使われ、リンドベリ独特のタッチで描かれたそのグラフィックはいま見ても新鮮で、昨今のリンドベリ再評価に共ない出版された幾多の書物でも、数少ない海外での仕事ではあるが重要な作品の一つとして紹介されている。

1971年には再びグスタフスベリ窯に戻り、日用品のデザインとデッサン、そしてアート・ピースや様々なオブジェの製作と精力的に活動する。
陶器作品の他に数多くのイラストや絵本や水彩画を描き、中でも50年代に発表された絵本『ちゃっかりクラーケル』は可愛らしいおとぎ話の世界がリンドベリらしい繊細なタッチで描かれ、子供たちはもとより、大人たちをも魅了し続け、現在まで新しい版を重ね読まれ続けている。
作品における温かみに溢れる繊細なモチーフ使いは、リンドベリの性格を評して『ミス・リンドベリ』と呼ばれていたことからも窺い知れるように、巨匠として崇められた晩年まで一貫して変わることがなかった。自然をモチーフにした清楚で美しい図案のデザインやその造形に、その優しく穏やかだった人柄があらわれている。なかでもヴィンテージで人気の高かった、緑の葉っぱを図案化したテーブルウェアシリーズ「ベルサ」は、近年復刻されて人気が高く、リンドベリ人気は地元北欧はもとより世界中で再燃している。

ベルント・フリーベリはスウエーデン南部の港町ホガナスで生まれる。13歳のころに創業したばかりの陶器工場ホガナス窯で陶器制作の助手として働き始め、以降、地元のいくつかの陶器メーカーにろくろ職人として勤めるようになる。ジャムポットなどの量産品における単純だが確実な基礎となる仕事を身につけることになる5年間の修行期間をへて、当時からスウエーデンと同様に陶芸の盛んであったデンマークに渡り1934年までそこで働く。地元とデンマークでのその修行がのちのフリーベリのろくろの卓越した技術を培ったのであろう。その年、35歳でスウエーデンに帰郷したフリーベリは、グスタフスベリ窯で働きはじめるようになる。当時グスタフスベリ社にはアート・ディレクターとして活躍していた、名工ヴィルヘルム・コーゲがおり、フリーベリはコーゲのもとで手仕事の重要性を学び、単に技巧に走るのではなく、感性豊かに生活に根差した地に足の着いた作陶技法を学ぶことになる。それは陶芸家にとって土は生き物でありその作風は採土された土地の風土に従うことでもあった。

当時グスタフスベリには量産品を生産するための工房と、アートピースと呼ばれる1点物を製作するための専門の職人を擁する工房があったという。ちなみにリンドベリとフリーベリ、二人の師匠であったコーゲは独自の発展を遂げたスウエーデンのモダニズム思想を、人々の生活に関わり深い日常品として提供することを奇をてらわずに実現したことで知られている。また日本との関わりも深く、陶芸家浜田庄司とも親しく交流を持った。
フリーベリに遅れること3年、1937年からコーゲのもとでともに修行を積んだスティッグ・リンドベリがデザイナーと呼ばれ、プロダクト寄りの量産品のデザインを中心に手がけるようになるのとはことなり、フリーベリは44年に独立と同時にグスタフスベリ内にアートピースを作るための工房を構え、中国と日本の伝統的な陶器に影響を受けながら独自の作風を作り上げていくようになる。
必要以上の装飾を排除し、研究ののちに習得した東洋的な艶のある釉薬を施すことで、のびやかな器のフォルムと静かな躍動をもったその佇まいのなかに、静謐な奥深さを表現し、それを封じ込めることに成功している。
3度もミラノ・トリエンナーレで栄誉ある金賞を受賞するなど北欧のモダニズム黎明期からミッドセンチェリー期にかけて人気を誇った。子供の手に収まる小ささのユニークなミニュチュアのスタジオ陶器作品も手がけ、晩年においてもその創作意欲に陰りはなかった。作品は芸術家や皇族にも愛され、ストックホルムで国立博物館の永久コレクションに選ばれ、コペンハーゲン装飾工芸館、デンマーク博物館、そしてニューヨークのメトロポリタン美術館などに収蔵されている。世界、そして日本での人気も高く、フリーベリの作品は高価だが、器愛好家たちの憧れとなっている。◯ ◯ ◯ ◯ ◯
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左がスティッグ・リンドベリ、右がベルント・フリーベリ
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加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
野本 哲平野本 哲平