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民具木平の市場調査 第11回 「何に着目すべきか?」 ”nanichaku”

2016年04月30日 

4月28日(木)21_21 DESIGN SIGHTでは、21_21 DESIGN NIGHT  特別企画と称し、イベント「何に着目すべきか?」が開催されました。僕も声をかけてもらったので、「なにちゃく」に初参加してきました。

今回の「何に着目すべきか?」は雑貨展企画チームの1人であるグラフィックデザイナーの橋詰宗さん、グラフィックデザイナーの木村稔将さん、編集者の古賀稔章さん、当ダイアリーでもおなじみのデザインジャーナリスト加藤孝司さんを中心に、雑貨展出展者、参加作家、企画チームらが「肴」となる本やスライドやレコードなどの参考資料を持ち寄って雑貨への思いを語り合いました。

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”今和次郎と現代の「考現学」”を展示している菅俊一さんによる「考現学」トーク。

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橋詰さんが持ってきた梅棹忠夫 (著), 加藤秀俊・他 (著)「家事整理学のすべて 」という本には今和次郎宅の急須の棚や、田中一光宅のオーディオ棚などが。

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ターンテーブル&DJミキサー完備で、雑貨的なミュージックがBGM。

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当日は宮坂醸造さんと鈴廣さんの協力で会場では宮坂醸造の真澄と鈴廣のかまぼこがふるまわれた。

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本やスライドだけでなく、「つまみ」となるプロダクトも。

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BRAUNのシェーバーのケース。

年末に棚を製作中にインパクトドライバーでやってしまった、左手の親指の爪の血豆もだいぶ上の方にあがってきた。

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昨今の潮流のひとつである「断捨利」問題についても話が及んだ。

僕自身、断捨利はとても憧れるのだけど、現実は理想とは程遠い、、

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第二部も終盤に差し掛かった頃、「機能と作用」を出展中のRoundabout, OUTBOUND店主、小林和人さんがD.J. AFRIKA BAMBAATAA「DEATH MIX」をかかえて流石のカットイン。

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第3部、橋詰さんと小林さんの2DJによる「雑貨な音楽」はラジオ形式。

この頃になると、会場はもうみんな好き勝手に呑んだり、しゃべったり、ナンパしたり。ユルリといいかんじのサロン感。

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〆は村田英雄「人生劇場」DEATH MIX !?

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普段なかなかみることのできない夜のギャラリーもまたいいですね。

イベントに来られていた転法輪さんにサボテンの水のあげ方を教わったので、水をジャバーっとたっぷりあげた。

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イベント終了。いつもの小道を抜けて二次会は松ちゃん。

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さまざまなジャンルの、その道のプロフェッショナルがあつまって、レコードを聴きながら、持ち寄った本や写真を肴に、酒をのみ、かまぼこたべながら、ああだこうだ語り合う。最高じゃないか。アットホームだけど知的で、あの空気感をつくりだすバランス感覚はすごいなと思った。人柄なんだろうなあ。4人のホストを中心にまさにDJingのごとく、情報、イメージ、会話を次から次へと繋いでいくかんじ。すばらしく、そして楽しいイベントでした。ぜひまた参加したいです。

[ Like A Broken iPhone | アイフォン割れた ]

2016年04月25日 

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よい絵、よいイラストの基準とは一体なんだろう。
その判断の最終的な拠り所は、「好みか好みでないか」によるのかもしれないけれど、
感覚的なそれに、すべてを委ねてしまうのは、何かちょっと違う気がしている。
私は編集者という仕事柄、日常的にイラストレーター、
画家の方とお仕事をご一緒する機会に恵まれている。
企画に応じて、お願いする方は毎回違う。アートディレクターと相談しながら、
そのひとりを決めるのはとても楽しい時間だ。

 

イラストレーターで映像作家のオオクボリュウさんもまた、
そういう過程を経て、あるフリーペーパーの連載イラストを描いていただいた。
こちらが描いて欲しいとお願いするモチーフに対する見えない余白を感じてもらいながら、
さらにその余白をちゃんとご自身のクリエーションに昇華していくオオクボさん。
その様子に、私は毎回高揚し、そして完成した絵を心待ちにしていた。
そんなオオクボさんが個展をするということで、DMをいただいた。
タイトルは、 [ Like A Broken iPhone | アイフォン割れた ]。

 

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情緒的な要素を感じないそのタイトル。
そしてそのDMに描かれた絵を観てすぐに「すごく気になる」と感じた。
さらに素晴らしかったのが、その個展に寄せたオオクボさん自身のステートメント。

 

——
生活をしていると「これを作品にしたらどうだろう」「こんな展覧会はど
うだろう」と思う瞬間がありますが、そうやって心を動かされるモチーフ
や出来事は何気なく、あまり驚きのないものが多いような気がします。 
例えば、「iPhone を落としてしまった」といった些細な出来事でも、ぼく
にとっては絵を描くのに十分な動機になり得ます。そうした日々の想像が
ようやく頭の中で一つの形になったので、作品を作って展覧会をすること
にしました。大きなギャラリーで個展をするのはこれがはじめてですが、
楽しんでもらえたら幸いです。よろしくおねがいします。
          (オオクボさんの個展に寄せたステートメントからの抜粋)
——

 

自分の現在地からしか、世界は広がらない。
自分から遠い場所、それは例えば外側に溢れる情報、知識だったり、
他者の体験や経験だったり。そこから答えを得ようとしても、それは難しいのだ。
自分のほんのすぐそばに、近くにあるささやかなディテールに、
どれだけ敏感でいられるのか。また注視できるのか。
仕事をするときも、生活するときも、
自分の足下や内側からふつふつと転がっている小さなつぶから、
あらゆる世界を映すことができるんだと、そんなことをぼんやりと身に感じていた私には、
オオクボさんのこのステートメントが、とてもビビットに伝わってきた。
もちろん、これは私の個人的な解釈だ。でも作品とは、アートとは、
そうやって個人の内側に抱えた物語と作品が、どう結び付いていくかだと思う。

 

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[ Like A Broken iPhone | アイフォン割れた ]は、4月8日(金)〜4月24日(日)まで、
CALM & PUNK GALLERY(東京・西麻布)にて開催されていた。

会場は、アニメーションやペインティング、ドローイング、テキスタイル、立体作品など
新作100点が展示されていた。作品には時間軸があり、その順番通りに鑑賞する楽しみもあった。

 

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会場を一周しながら、ひとつだけ動揺、そして後悔をした。

作品がほとんど売約済みだったのだ。大好きな作家さんの展示は、できるだけ早めに足を運ぶべきだと
改めて反省…..。そんな私の気持ちにそっと寄り添ってくれたのは、
会場で販売されていたキーホルダーだった。

このキーホルダーを早速リュック取り付けて会場を後にし、
その作品の余韻とともにしばらく歩き続けた。

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みんなのフォーククラフト

2016年04月20日 

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民藝(フォーククラフト)は風俗のひとつになって久しい。観光地の土産物屋には民藝を唱ったみやげ物があふれ、日本的なみやげ物は民藝と結びつけられ売られ、語られることも多い。

1925年に柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎が中心となって起こした芸術運動は柳らがとなえた用即美、すなわち普通の暮らしのなかにある「用の美」を再発見し、美術工芸品を尊び刹那的な消費主義に偏りかけていた人々のなかに、暮らしの中に生まれる純粋な美の感覚を再認識させるための運動でもあった。
用の美とは日常人々が何気なく使う道具の中にかけがえのない美を発見し、それこそが人々の日常を豊かにする道具として位置づけることから始まった。
それは人々が営む日常こそが美しい、という考え方にも繋がるヒューマンなものにみえる。

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民藝の民とは民衆、そして藝とは芸術ではなく工芸、すなわち民衆的工芸の略のことをいう。
民衆的工芸とは、市居の無名の職人が無欲に必要の中から生まれた道具を繰り返し作っているうちに、技が熟練されていく、その結果生まれてくる日常品のことである。

それは技巧に走り奇をてらうのではない、平常心で作られたもの。それらは下手物とも呼ばれ、最初から美術品としての価値観の観点から作られたもの、いわゆる上手物とは区別された。
それは芸術作品のように一点物ではなく、極めて廉価で庶民的な量産品のことでもある。

しかしそこに矛盾が生じることも事実だ。職人たちが作る物のなかに、もしも民藝がいうところの美が存在するのならば、それは紛れもなく職人たちが日々の修練のなかで培われ養ってきた感性がもとになって生まれてきたものに違いがない。それは柳がいうところの民藝が美しい理由のひとつ、他力とは異なるものだ。

だが民藝の運動がいうところの、正しい美、健康の美は、つくりものではない、生活の中から生まれてくるものである。
大衆の日用の雑器を美的な観点からとらえるこの動きは、民藝の活動から始まったまったく新しい思想だ。
それは千利休の茶の湯の時代には体系的には理解させれてはいなかったことでもある。
そこには一介の職人が日常の修練と無心の中から生まれた、繰り返される作業から生まれる物に宿る美しさを見い出すことがある。

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機械に頼ることのない、熟練した人間の手による日常の品。
その土地土地の風土によった、地方の特性の再認識。

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(移動の際はだいたいいつもカメラを携えている)

ちょうど同じ頃、民俗学研究者である今和次郎は古いものを扱う考古学に対し、人の行動、住環境や衣服や関心などの暮らしぶりといった、現代の社会風俗を扱う考現学(初出は1925年)なる学問を創案する。路上や人々のふるまいをスケッチなどによりつぶさに記録した考現学はまた、見ることによって成立する学問でもあった。

同じように民藝は元来「見る」ことと直結している。
柳ら民藝の指導者にとって民藝とは、まさしくこの物の良し悪しは見るという行為の中から生まれる直観的なもののことでもあった。

現代のわれわれは、日用の品を前に、どのようなまなざしをもってそれを見るのか?
100年近いときが経ち、民藝の概念を確立しようとした彼らの目に、物が氾濫し消費に翻弄されるわれわれの暮らしはどのように写っているのだろうか?

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Authors

加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
野本 哲平野本 哲平