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Diary

余計な、自意識

2016年02月25日 

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春の気配を感じる今日この頃。
ミモザをはじめ、春のお花も少しずつ手にできるようになって、うれしい。
春という季節はちょっと苦手だけれど、春が冬を侵食していく気配は好きだ。

先日、水栽培用のチューリップの可愛らしさに目を留めていたとき、
ぼんやりと言葉にはできない感覚が頭の中でぐるぐるしはじめた。
やがてチューリップの健気なその佇まいを見ながら、
次第にそれは自意識という言葉に置き換えられるようになった。

 

自意識

自分自身についての意識。周囲と区別された自分についての意識。
自己意識。

 (出典:デジタル大辞泉)

チューリップは人に見られることなんて御構い無しに、ただ、そこにある環境に対して
自分なりのカタチを持って、生きている。それに対して自分は一体なんだろう?

自意識過剰

他に対する自己意識しすぎること。自分が他人にどう見られるかを考えすぎること。
また、そのさま。

(出典:デジタル大辞泉)

 

そう、思い返すと仕事でもプライベートでも急に恥ずかしくなる瞬間は、
大体が「自意識過剰」が絡んでいたように思う。

例えば映画、音楽、アート。それらの作品は自己表現の一環であるという解釈もあるが、
私の場合、大抵作品の作り手の自意識を強く感じ取ってしまった瞬間、
その作品への気持ちが一気に冷めていくことがほとんどだ。

昨今、急速に発展しているSNSを見たり、自分が投稿するときに思う。
「美しく撮ろう」「おしゃれに」とする自意識が先行した写真や言葉には心惹かれない。
そしてとても恥ずかしくなってしまうのだ。

 

自意識なんて構っていられないくらいに、否応なしに心の底から突き動かされるもの。
そして、この世界で起きていることに、自分なりに対処していくこと。
その対処の仕方こそが、自意識という言葉にも置き換えられると私は思うから。
だから自意識を意識すればするほど、本質から離れていってしまうような気がするのだ。

 

自意識は、無意識には勝てないんだ。

 

植物の命の有り様を見ながら自意識の先にある、
無意識の美しさについて、改めて考えさせられた。
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Authors

加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
野本 哲平野本 哲平