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Diary

恩地孝四郎の世界

2016年02月20日 

L1256016

かつて僕が強く影響を受けた版画家、恩地孝四郎(1891-1955)について書こうと思う。なぜそう思ったかというと、先日、東京国立近代美術館で過去最大規模の恩地孝四郎展が開催されていることを知ったからだ。
作家自らが版を掘る創作版画という新しい分野でその才能を開花させた恩地。モダン、アヴァンギャルド、生命感、構成力豊かな作品を残した。

1980年代にハマった恩地の作品に再会したのは、10年程前に同じ東京国立近代美術館で開催されていたとある展覧会。確か展示作品は日本で最初の抽象表現といわれる1915年の木版「矜情・あかるい時」だった。赤と白の二色だけの予定不調和なアブストラクトな作品。心の奥から覗きこまれるような深い何かを想像させる作品だ。自らはそれを抒情画と呼んだ。

恩地孝四郎については大正昭和の時代に活動した版画家としてよく知られている。竹久夢二に師事し、師とは異なる道を創作版画で示した。同時代、数多くの文学書の装丁デザインや挿絵を手がけ、萩原朔太郎の詩集「月に吠える」(1917)での版画がつとにに有名だ。

1914年に学生時代に出会った盟友、田中恭吉、藤森静雄らと詩と版画の同人誌「月映(つくはえ)」を創刊。フォトモンタージュなどの写真作品や詩も残しているが、個人的にはこの頃から1920年代を中心にした版画作家としてつくりだした作品に共感する。

カンディンスキー、ロシア構成主義に影響をうけた幾何学的な直線で構成された抽象的な作品、立体物を想起させるうごめくような色。版画というざらついた質感の紙にすくい取られたインクのかすれた色の構成が、生と死が今より身近にあったこの時代特有の儚い空気感を感じさせる。

恩地孝四郎は当時は調べていた1920年代の文脈のなかで出会い発見したのだが、戦前は社会的にあまり認められることがなかった故に、今から見ればもっとも充実した作品を創作していたこの頃の版画のオリジナルは極めて現存数が少ない。故に自刷となるオリジナル版画を見ることは稀だ。その作品は戦後日本より早く評価の高まったアメリカへと海を渡ってしまっている。

版画と絵画を区別して、その立ち位置を示そうとした戦前の版画家たちは、自ら描き、自ら彫り、自ら刷ることをよしとした。当時の画壇では版画は絵画より低く見られていた節があり、恩地孝四郎も版画家としてよりも、書籍の装釘や挿絵画家として日銭を稼ぐ他になかった時代が長くつづいたという。
同時代の挿絵家としては当時は怪奇小説と評されていた、江戸川乱歩の小説の挿絵を描いていた竹中英太郎も印象に残っている。
恩地孝四郎の挿絵や版画は抽象画の文脈で語られるべきで、決して大衆的な世俗的なものばかりではないだろう。時代は第一次世界大戦と二つ目の世界大戦のはざま。混沌、モダン、暴力。世界中で同時多発的にさまざまな文化運動が勃発した。どこか未来への不穏な空気と、先行きの不透明感を内在しているかのように見えるこの時代の文学と芸術。また医学がいまの時代ほど発達していなかったこの頃、病も文学の背景には悲劇的なばかりではない影響を残している。繁栄の裏に感じるどこか取り残されたように感じる不安、いらだち、行く先の見えない時代の空気感。恩地が版画家としてその才能を開花させた時代と、100年ほど経った今の時代はどこか共通するように感じるのはなぜか。

晩年、その抽象表現をさらに進化させた実験的な手法で作品を手がけた恩地。国内よりむしろ海外でその評価は高く、戦後の作品の多くはアメリカやイギリス、ドイツなど海外の美術館に収蔵されている。
環境問題、ボーダレス、グローバリゼーション、分散、カオス、新自由主義、共生社会、ロングライフ、新しい価値の創造など、多様化し複雑化がすすむ今の時代、創作の原動力になるものは何なのだろうか?今の文学や芸術の背景にあるものとは?
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加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
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