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Diary

白黒のフィルムに焼き付けられた記憶という名のイメージ。

2016年02月05日 

ここに60年程前の広島を写した「HIROSHIMA 1958」という写真集がある。

タイトルを見ても分かるように、ここに収められた写真には1958年当時の広島の姿が写し出されている。撮影したのはエマニュエル・リヴァという1人の女性。
真新しいイサム・ノグチの西平和大橋、整備されたばかりの平和記念公園、いわゆる原爆スラムのある川辺の暮らし、市内に流れる六つの川のひとつ本川の河口に近い江波の町とそこで暮らす人々。
エマニュエル・リヴァとは当時パリで舞台を中心に活動していたフランス人女優。世間的にはフランスヌーベルバーグの傑作映画、マルグリッド・デュラス脚本アラン・レネ演出の1959年公開「二十四時間の情事」の主演女優としてよく知られた存在だ。
ブリジッド・バルドーのように肉感的な女優、そしてジャンヌ・モローに代表される知性派と、一口にフランス人女優といっても当然のことながらそのイメージはさまざまだ。
リヴァはモローの系譜の知性派女優といったところか。ともにフランスの文学者であり映像作家マルグリッド・デュラスの原作によるそれぞれ異なる映画に主演しているところにもその共通項を見出すことができる。

そんな写真家でもない彼女が、60年ほど前に映画撮影のために滞在中の広島で、膨大な数の写真を撮影していたことがわかったのはほんの数年前のこと。その写真が撮影から半世紀ほどの時を経て人の目に触れることとなったのだ。
1958年当時の広島の風景を白黒のフィルムに焼き付けた彼女の写真には、それまで当たり前でありながら、原爆という過去の記憶に覆い隠されていた、広島の人々の日常の、生き生きとした暮らしが写し出されていた。
原爆投下前と後と同じように今もそこにある人々の暮らしは、とりたてて特別なもののない、当たり前な日常だ。それでも広島を訪れた異邦人が見た60年前の広島は、モノクロームの風景の中にありながら、青い空は青く、絣の着物の朱は朱に、カラフルな色を想像させるものであった。
時間の経過、今はもう失われてしまった風景というノスタルジーの色眼鏡を外してみてもこれらの写真はリアルなドキュメンタリーである以上に、写真としての普遍的な価値をもっていると評価されている。
イメージ
これらの写真は、2007年、写真家で多摩美術大学教授の港千尋教授により、エマニュエル・リヴァへの取材の際に偶然発見されたそうだ。その撮影者であるリヴァ本人も心の片隅にとどめながら、忘却のかなたに意識的に押しやっていた記憶。
リヴァが映画の撮影の合間に撮影した、1958年当時の広島の街の姿はいまとはだいぶ違っている。今は姿を消した広島市民球場の建設途中の写真も収められている。原爆投下からわずか13年、リヴァが写した写真のなかには、生き生きとした広島の人々の生活の姿が写しだされていた。

広島、ヒロシマ、ひろしま、HIROSHIMAと、人は広島をさまざまに呼ぶ。だがもしこの映画と関連付けて広島を語るシネマフリークなら、一度はちいさな声で「イホシマ」と広島について声に出して呼んだことがあるだろう。このロマンスとも反戦映画ともとる事が可能な映画の最後の最後で、日本人を総称して「HIROSHIMA」とエマニュエル・リヴァに言わしめたマルグリッド・デュラスの脚本で広島は、「H」を発音しないフランス語独特の発音によってイホシマになったのだから。僕がいつか聴いてみたいと思っている言葉は、ほかでもない劇中で音楽のように印象的に響くこの言葉であった。昭和初期に建てられたRC造の建築が多く残る東京のオフィス街のどこかの街の裏道は、この映画のなかに映し出される広島の中心部に今も残る百貨店「福屋」のある風景に似ている。60年ほど前の映画の中に映し出される風景のように、今も昭和なネオンが夜が明けるまで灯る、けばけばしい広島の夜の繁華街を、僕も何度も何度もさまよったりした。この年から6年後、日本に初めてオリンピックがやってくる。そして今から4年後に、再びこの国にオリンピックがやってくる。時代は変わるが変わらないものもある。この映画への特別な思いも、あの夜の広島の風景が土地の記憶のなかに残る今の広島の街の風景も人も、これからもずっと僕にはあこがれの対象であり、いつも変わらない日常であることには今も変わりがない。
(写真と本文は直接は関係がありません)

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加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
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