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Diary

ガラスという生き物に
さらなる命を与える人の手と思考

2015年10月05日 

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一般的なガラス製品の中に気泡を目にしなくなったのはいつの頃からだろうか。古代から続くソーダ灰ガラス、高級食器の素材に使われるクリスタルガラスなど。日常の中でガラス製品は当たり前に親しんでいる。そんなガラスの中にこめられた気泡が好きな人にとっては、例えば古いコカコーラの瓶などに、小さなひとつの気泡でもみつけようものならば、鉱物などの中にアンモナイトなどの化石をみつけたときのような喜びようである。この感覚はレトロを意識してガラスに炭酸カルシウムなどの薬品をまぜてつくられたガラス瓶などにみられる、いかにもな気泡を愛でる感覚とはまったく別物である。

さらに、ゆがみ、ゆらぎ、ガラス成形の途中にできた自然にできたシワ、色つや、張り、手仕事の痕跡。素朴さこそが絶対的な価値を持つとはいわないが、そこに現代のときに高度にオートメーション化されたガラス製造の技術でつくられるプロダクトにはない、本質的な豊かさを感じるのはなぜなのだろうか。

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昔のガラス製品には、表面が波打っていたり、気泡が入っていたりするものが少なくない。これは現代の製法とはことなり、製造技術が高度化されていなかったため窯の中の異物が素材に混入したり、ガラスが溶解中に発生するガス性の泡が製品の中にそのまま残り気泡になったり、波打ち、シワのような個体差のある自然な表情が生まれたのだという。

ぼくにとって親しみ深いガラス作家といえば、1950年代から80年代にかけてスウェーデンで活躍したガラスデザイナーでありガラス作家、エリック・ホグラン(Erik Hoglund)である。手がけたのはガラス作品、彫刻、モニュメント、家具、絵画。有名作家にしては必ずしも長いとはいえない活動期間のそのわずが20代前半の初期のキャリアには、スウェーデンの代表的なガラスメーカーであるボダから精力的に作品を発表しはじめ、晩年にかけてはガラスアーティストとしても特異な才能を発揮し、独創的な作品を発表したことでも知られている。

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マニアにはプロダクツに残るシールもたまらないものだったりする。ヴィンテージであれば、何の世界でもそうだと思うが、「未使用」ということがそのものの価値に繋がったりする。未開封、未使用、未活用などなど。この場合、シールが剥がされずに付いていることが未使用のまっさらなヴィンテージの証とされ珍重される。少なくともマニアのあいだでは。
だから、少しでもヴィンテージの世界に足を踏み入れたことのある人であれば、たとえそれが現行品であっても、その後の価値を考えるとこのシールやラベルを剥がせずにいることがある。少なくともぼくらマニアのあいだでは。
いかにも普通の人からみれば変な話だが、これは決まってそうなのである。だが、これはたまにおじさんが家電や家具についているシールを剥がせずにいることとは大きな違いがある。これとそれとは断じて違うことなのだ。マニアやエンスーにおいては。

ぼくがホグランの作品にはじめて出会ったのは、インテリアショップ<イデー>がまだ青山にあった頃、そのお店の店頭で出会ったのが最初である。当時その青山のお店の3階には現在クラスカドーのディレクターを務めている大熊さんが企画を担当していたフロアがあり、そこで目にするものは、デザイン、アート、建築など、他では目にしたことのない新鮮なものばかり。その空間ともうひとつ表参道の裏手にあった<クラフト>は、当時のぼくのデザインの先生のような空間だった。

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1枚目の気泡がたくさん入った背の低い、ホグランの初期につくられた手吹きガラスのベースの全体像。これは製造工程で偶発的に入った気泡ではなく、おが屑やジャガイモの皮、色によってはカーボランダムという砂を入れているのだそう。
もちろん、すべてのホグラン作品に気泡が入っているわけではない。むしろ高度な洗練されたガラス製造の技術によって、極めてクリアなクリスタルガラスがホグランのある種のプロダクトの特徴ともなっている。だが、このような表情をガラスにもたせることは、ホグランのガラス製造の技術に対するひとつの実験、あるいは自身の作品のひとつのバリエーションとして考え得ることなのだろう。

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ホグランの作品を当時における機能性を重視したいわゆるモダニズムの流れを汲んだガラスと区別するひとつの要素は、生きもののような製品の歪みと、人や動物などの生き物のモチーフを多様する点にあるように思う。なかでもしばしば多用される牛のモチーフはホグランのプリミティブな指向を示しているように思うし、ロボットのような能面のような表情をした人物はシュールレアリズムを想起させる抽象的なモチーフだ。

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それはシュールレアリストであるアンドレ・ブルトンらが1920年代にアフリカのお面などを必死に集めた思考とどこかでつながっているように思う。それはもちろん20世紀最大の画家ピカソの画風の影響もみてとれるだろう。

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ひとつ上のボトルの側面に入れられたスタンプのモデルとなったといわれているのが、この写真のおじいさん。この方はホグランのガラス作品をつくっていたガラス職人さんの一人で、アルビン・ジョンソンさんだとホグラン通の友人に教わった。アルビンおじいさんはいかにも職人さん風の素朴な風貌でホグランの作品集にこのポートレートが登場することから、しばしばホグラン本人と間違われたりする。当のぼくもこのおじいさんがホグランだと思い込んでいた時期がある。

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当のエリック・ホグランは写真のロッキングチェアで寛ぐこの方。無骨ないかにも自然児といった感じの男性である。これはホグランがボダの作家として活動していた60年代当時のもので、長テーブルの上に彼の作品を目にすることができる。また、牧歌風の部屋とインテリアもなんだかいい雰囲気である。モダンデザイン全盛の時代に、イームズやウェグナーもないこのローカル感のあるロッジとインテリアをみても、ホグランが同時代の主流とは違ったところでものづくりをしていたことが想像できるのではないだろうか。

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上の写真の中、テーブルの奥のほうに見えるのがこのキャンドルスタンド。色違いの中空のガラス玉が鉄のフレームに串刺しのようなかたちで数珠つなぎになった意匠、ガラス玉はそれぞれタマネギをモチーフにしたものだといわれている。これをはじめて見た時には、ある種の装飾性のあまりの高さに正直ピンとこなかったのだが、意外にモダンなインテリアにもよく馴染むと知って、気になって購入した。7~8年ほど前である。
モダンデザインの優れているところは、狭義な意味でのデザインの領域に留まることなく、それまでの多様なデザイン様式を受け入れる幅をもっていることではないだろうか。いやそれはモダンデザインのふところの深さというよりも、合理主義的なデザインと毛色の異なるプリミティブなデザインも使い手の感性に合致すれば、文字通りフィットする、モダニズムが熟成されていった背景にはそのような人間性の変化こそがあったのかもしれない。

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表参道の裏手にショップがあったクラフトのあとに入ったお店が、北欧のアンティークを中心に扱う<エレファント>だ。正確にはクラフトのあとにライターの土田さんが開いた<アフター・クラフト>があり、その次にエレファントがこの空間を引き継いだ。
エレファントではスウェーデン、フィンランド、デンマークなどの北欧の国々で50年代につくられたテーブルウェアを中心に、暮らしの中から生まれてきた美しいプロダクトたちが店内にならぶ。一時、これらモダンなテーブルウェアに合う、現代のデザイナーによるプロダクトなどを扱うウェブショップ<クラフトワン>(前身はクラフト)が店内の一部を間借りしていたこともある。いつ訪れても新しい発見のある刺激的なショップである。
だが、なんといってもこの世界では大のエリック・ホグラン通として知られる店主の吉田さんが集めた、エリック・ホグランの作品が常時多数みられるお店としてもとても貴重なショップだ。

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僕自身はクリアのガラスを中心にホグランの作品を集めているが、ホグランは多彩な色使いの魔術師としても知られている。さまざまな色のガラスを組み合わせてつくったステンドグラスや、彫刻作品。そのすべてが野性味あふれ、プリミティブな魅力に満ちている。ドロドロに溶けた液体がつくり手の息で有形の存在になる。ガラスという生きものにさらなる力を与えるのは作家やつくり手本人の力量である。手にしたときのなんともいえないぬくもり。そしてものを通じて作家本人と交わっている感覚。これがエリック・ホグランの作品の最大の魅力だろうとぼくは思う。

エレファントは建物の建て替えによって9月末で一時閉店、10月より同じエリア内の別の場所で移転営業再開する。来年の夏までにはまたこの同じ場所に戻ってくるというから、新しくなったこの場所でのエレファントの新たな展開もまた楽しみでならない。

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Authors

加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
野本 哲平野本 哲平