1. TOP>
  2. Diary>
  3. うつくしいもの

Diary

うつくしいもの

2015年03月25日 

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

「規則的な生活」はなかなかできていないけれど、
規則的なものに心惹かれることがよくあります。

なぜ規則的なものに惹かれるのだろう?と、自問自答してみたところ、
そこにはある種の美が宿っているように思えるからな気がしてきました。

私たちは、日々、現代社会の多様性・複雑性の中に身を浸している。
そもそも人の心ほど不確かで複雑なものもないですよね。

だからこそ、人はその複雑さの中に規則性を見出したとき、うつくしさを実感するのかもしれない。
ほかにも色々理由はあると思いますが、そんなことを最近、ふと思いました。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

Exif_JPEG_PICTURE

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

 

ぼくの好きなMetal works

2015年03月20日 

磨くと光ったり、経年により腐食したりといった金属ならではの経年変化も、使い込むほどに色つやを増す木材の経年変化とともに美しい。
耐久性が高く、多様な加工ができ、20世紀以降建築や家具の部材に使われるなど、生活に身近な素材でもある。
人類と金属との出会いは人類が火を扱うようになって以降、1万年ほど前にさかのぼるという。自然に存在する金属を溶かして、装飾品や日用の道具、武器などさまざまなものに加工していたという。銅器、銅と錫の合金である青銅器、鉄器というものが長らく使われており、18世紀に入り、多くの種類の金属が発見され、19世紀末になって金属工業は飛躍的に発展した。

身近な日用の素材、道具に姿を変えて長く人々に親しまれてきた金属。
青銅色のサビは古来よりろくしょうといって、日本人が愛でてきたもののひとつだ。ぼくの身近にある金属製品も日用に使用するという機能とともに、愛でて心に作用する魅力をもっている。

DSC_0742

アルミ製のビーカー。
フリマで手に入れた、ガリバリウムのようなくすんだ金属の風合いがいい。澄んだ水を汲み、飲むための道具として使ってもいいし、小さなペン立てとしてテーブルの上に置いて使っても、心地良い風景を作ってくれる。

DSC_0744

ウィルフェルム・ワーゲンフェルドのエッグカップ。
ドイツの金属メーカー「WMF」の製。金属製、工業製品でありながら、豊かな表情といった木工作品のような佇まいにひかれる。カップの部分にゆで卵を入れ、スプーンで殻を割り食べるための器。割った殻はめくれあがったふちに落ちる仕組みで、テーブルまわりを汚さずにゆで卵を食べることができる。

DSC_0746

ティモ・サルパネヴァのグラスTsaikka。
イッタラで手がけた金属製のホルダーがついたグラス。金属の部分は取り外すことができ、熱い飲みものを入れても飲みやすいように工夫されたデザイン。パンチングであけれらた穴が不思議な装飾性をもっている。

DSC_0748

アンティークの鉄のビーカー。
マーケットで手に入れたビーカー。錆がそのものの存在を際立たせている。

DSC_0749

鉄製の小さなボウル。
用途不明の鉄のボウル。クルンと丸まったふち、下に向かってすっとすぼまったフォルム。小さなものを受けとめるための道具。

DSC_0752

蓋つきの古いフィルムケース。
金属製の蓋がついた古いフィルムケース。光と透過しない金属は、内側に確かな闇をつくる。光を遮断するという金属の特性が生かされている。

DSC_0753

ウィルヘルム・ワーゲンフェルドのソルト&ペッパー。
ドイツのWMF社のためにデザインしたもの。ステンレスとガラスの優美なフォルム。トレイの曲線が美しい。

DSC_0756

アルミのビーカー。
アノニマスのアルミのビーカー。どこか懐かしいその質感についつい惹かれて手に取ってしまう。

DSC_0757

ウォルター・ボッセの真鍮製のクマのフィギュア。
オーストリアのデザイナー、ウォルター・ボッセは19世紀初頭に金属とマジョリカ焼きの動物たちのフィギュアを手がけた。いきいきとした愛らしい表情は、近くにおいて見ているだけで心癒される。

DSC_0761

ライカのフィルムカメラ。
昔のカメラには金属のパーツが多く使われている。このライカは2000年前後に作られたフィルムのカメラだが、そのデザインは1950年代にデザインされたライカのマスターピース『M3』のデザインを踏襲したものだ。バルカナイズドレザーでくるまれたボディの上下のパーツは重厚感のある真鍮製。金属の古いフィルムケース同様、光を完全に遮断するために、金属のボックスは優れた機能を発揮する。使い込むほどにそこに施されたブラックペイントが剥がれ、真鍮のゴールドが浮き上がってくる。工業製品でありながら究極のクラフツマンシップを感じるぼくの愛機。

DSC_0762

ドイツの古いパンチ。
アンティークのマーケットで手に入れたふたつ穴のパンチ。ところどころ錆が浮き出ているが。今でも十分に実用性をもつ優れもの。無駄のないフォルムが実用美を誇る。

DSC_0763

秋田道夫さんがデザインしたペン立て『プリマリオ』。
金属のデザインを得意としてバウハウスのデザインを思わせる、直線と曲線が絶妙に組み合わされたデザインのペン立て。面と線、円と線、少ない要素のみで構成されたおしゃべりでない控えめなデザインが心地良い。

DSC_0765

PBの六画レンチ。
強さとともにしなやかさをもっているのが金属の素材としての特徴。工具には主に金属素材が用いられるが、その表情の冷たさはそれを手にしたときに、道具としての確かさを保証してくれる。

DSC_0768

かなり前のiPad。
ピカピカに磨かれた裏面が好きで、今も日常で愛用している。金属の硬質さ温かさは、まったくの気のせいだが、iPadが奏でる音に少なからず作用しているように思われる。

憂鬱の先にあること

2015年03月10日 

IMG_2239

文章を書くという仕事をしていると、
「言葉が好き」「文章を書くという行為が好き」
「例え好きとは言えなくても得意ではあるでしょう」と、
私自身に対する先入観というか、前提が生まれていることが多いものです。

でも実際の私はというと……、実は一度も好きとも得意とも思ったことはありません。
むしろ、誤解を恐れずお伝えすると、
書かなくてはいけないものを抱えていると、かなり気が重くなります。
もちろん、書くことを繰り返していくうちにある程度の書くコツと技術は持てますが、
それでも、漠然と、感覚的に抱えていたい事柄を言語化するというのは、
ものすごく怖く、恐ろしいことでもあるからです。

また、文章を書くというのは、すごく身体的な行為だな、とつねづね思います。
まず言葉にもリズムがあります。
そして言葉とは実態が伴ってこそはじめて意味を持つものだから、
ある種、言葉は自分の体験や経験に忠実というか、素直に反応してくるんです。
その結果、ものすごく心と身体を消耗します…。

と、そこまで言いながらなぜ書くという仕事をしているのか。
ということですが、正直いまだにわかりません。
きっともっと軽やかに向き合える仕事というのが、
いつもある気がしてならないのですが、でも続けている。
その事実に向き合うと、うっすらと見えてくることがあります。

自分にとって憂鬱なことほど、自分にとっての生きる本質がそこにある気がするということ。

うまく言えないのですが、書くという行為は、私にとっては社会と接点を持つ、
関わりを持つための大切な手段なのだと思います。

そして私自身、仕事柄様々な人たちにインタビューする日々ですが、
第一線で活躍している人ほど、言葉を疎かにしない印象です。
(上の写真もまた、それを象徴する写真家の方との想い出の根室でした)

疎かにしないというのは、言語力があるとか、文章力があるとか、そういうことではなく、
自分の言語をちゃんと持っているということ。言葉に実態が伴っているということです。

そういう人を目の前にすると、私自身はこうはなれないけれど、
それでも言葉を諦めずに、向き合ってきて良かったなと、
ささやかながら喜びに変わります。

そんな日々の繰り返しですが、これからも縁ある限り、
言葉と向き合っていきたいと思います。

« 2月 2015年3月 4月 »
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

Authors

加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
野本 哲平野本 哲平