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Diary

僕はひとりで外食をすることができない。

2015年01月30日 

おひとりさま、というフレーズを最近良く聞く。
が、僕は全くの「非・おひとりさま」で、ひとりで外食ができなかった。
できなかった、と書いたのは最近少しはできるようになってきたからなのですが。

ひとりで行く事ができるのは、牛丼の吉野屋とマクドナルドくらいで、
ラーメンは基本的に無理で、バーも知り合いの店員がいないとひとりで入るなんてもってのほか。
カフェはコーヒーだけで仕事があれば入れます。ひとりランチ絶対に無理。
ひとり映画?ならその映画の存在自体を忘れます(笑)。

一番大きい理由は、素直に「つまんない」から。
そして「寂しい」、これもあると思います。
ひとりで食べているのを見られるのも嫌。
要は、ひとりでご飯を食べたりする事に全く利点を感じていないし、意味もないと思っている。
だから一向におひとりさまを楽しむ事ができないままでいるのです。

こういった固定された価値観を打ち壊すには、無理矢理環境を作るしかないのです。
以前、「嫌いな人と差し飲みをするブーム」という時期が個人的にありまして、
この人とは合わないだろうな、という人をわざと指名して差しで飲む。というだけの事なんですが
これがなかなか面白く、最終的にはかなり仲良くなって終わるのです。
お酒の力も多いにあるとは思いますが、持論には「嫌いと好きは紙一重」、
つまり「嫌い」という時点で、何かしら自分とカブる部分があったり、自分が出来ていない所を相手がやっていて、それに劣等感があったりする。だから「無関心」ではなく「嫌い」となるわけで。

3人以上だと、嫌いが嫌いのままなのでダメ。
敢えて嫌いな人と面と向かって飲むことで初めて、嫌いが好きになるのです。

という事はできるのに、まだまだひとりでご飯が食べられないチキンな僕。
会社の同僚は、むしろひとりご飯の方が好きな位で、ひとり映画もスマートにこなす、おひとりさまエキスパート。
そんなエキスパートが「回転寿司だったら、結構ひとりの人多いから行ってみたら?」と言い放った。
いや、絶対無理無理無理・・・・。とその時は返したのだが、ひとりランチをしなければいけないタイミングはしばしば訪れる。その度にテイクアウトをして事務所で食べてごまかしてはいたものの、我が事務所がある恵比寿には、おしゃれな飲食店は沢山あるのにテイクアウト事情が壊滅的な場所なのだ。
一番お世話になっていたブリトー屋も去年閉店した。

こうなると残された道は、池に飛び込むしかない。
確か回転寿司だったら・・・と言っていたなと思いつつ、時間も遅めだったからそこまで混んでいないだろうと寿司屋の暖簾をくぐると、韓国人の店員さんが「いらしゃいませー」と。
回転寿司自体は何回も行っているし、好きなので勝手はもちろんわかっている。
一皿目は勇気がいったが、それを食べ終え、二皿目を何にしようか悩んでいる時にふと思った。
「ひとりだと、どれだけでも悩める・・・。これか?独りの醍醐味とは。」
食べるスピードも気を使わなくても良いし、好きな物を好きなだけ時間をかけて食べられる。
頼まないでガリをつまみながらお茶をゆっくり飲む事もできる。
元々、相手に合わせて急いで食べるのが嫌いな僕にとっては、オアシスのように感じられた。

それからというもの、回転寿司はひとりで行く方が好きになった。
一人で行った方が楽しい場所があるという経験をした僕は、ひとまずおひとりさま恐怖症からは解放された。

カウンター寿司をひとりで、は遙か彼方の話だと思いますが、
次はラーメン屋にチャレンジしたいと思います。

うつわの性格

2015年01月28日 

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須田二郎さんの個展、「木のうつわを食卓へ」を観に、ギャラリー無垢里(1月23日〜28日まで)へ。
相も変わらず今回もどれにしようかと……、思いっきり悩む。いつも「サラダを入れたい」「パン皿にしたい」など、行く前は使う用途をあれこれ考えて足を運ぶのだけれど、いざ須田さんのうつわを目の前にすると、そういう思考が吹っ飛んで、ただただ、面と向き合って、「お世話になりたい」と素直に思う一皿を選ぶのみ。

人に性格があるように、どうやらうつわにも性格があるようだ。ひとつひとつ個性に富んだ性格がにじみでている須田さんのうつわは、やっぱり面と向き合って対話して、触れないと、相性がわからない。

 

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天然酵母のパン屋さん、自然農法によるお百姓さんを経て、山できこりをしながら独学で木を削り始めたという須田さん。森と人の営みを想い、作品につかう木は、雑木林などで不要になって切り倒された木や、森の間伐材を使っているそうだ。

“人がコントロールしたカタチではなく、持って生まれた木の輪郭をそのまま整えて仕上げた。”

作り手としての須田さんの背景を知れば知るほど、私はそう想えてならなかった。木は生きている。だからこそ、うつわひとつひとつの性格がくっきりと私の目の前に立ち上がってくるのだ。

 

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使いはじめは、オイルを馴染ませた料理に使うと良いそう。サラダやパスタなどを入れると、オイルが木に馴染み、木肌はしっとりして、色は少しずつ深みを増していく。 その後はシチューやカレーを入れても、木にシミ移りづらくなるという。

ちなみに私は迷いに迷った末、アカシアの木でできた大皿を購入。決め手は、ちょっとした私の失敗も許してくれそうな、懐深い性格をしていたから。

 

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店内にはずっと須田さんを追いかけてきたという、写真家の中村ナリコさんの写真も展示されていた。
「中村さんとお知り合いなんですか。じゃあ今度ご一緒に、工房に遊びに来てください」。
お店の前で、淡々と慣れた手つきで旋盤機を回していた須田さん。うつわと同じ、ふくよかな優しさに包まれた人だった。

 

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ぼくの『白の消息』

2015年01月20日 

普段何気なく日用品を選ぶ。用途別に、好みのかたちから、長く普段使いできそうなものを選ぶ。そしてものを選ぶときに、色はその人の好みやそのときの気分が無意識に反映されるものだと思う。
いつでも手にしてぱらぱらとページをめくることができるように、そのときどきの気に入りの本を収めている本棚がある。その中につねに定番の一冊としてある本に、山口信博の『白の消息』がある。左のページには下半分に大きく余白を残しテキストが書かれ、右ページには裁ち落としで漂白し晒されたような白いオブジェクトの写真が並ぶ、それほど大きくはない本だ。

この本を見るまでもなく「白」といってもさまざまだ。焼物の釉薬の白、透明という白、無垢という意味の白、まだ出会ったことのないものという意味での白。

自分の身の回りを見渡してみると白がまた多い。本の背表紙の白、器の白、北欧のミルクパックの白、布の白、iPhoneの白、時計の文字盤の白、テーブルの天板の白、白い壁紙。日用品の色として白が多くなったのはいつの頃からだろうか。
そんなものを取り出して並べ、眺めてみるとなぜか心がざわざわする。想像力が働き、イメージが喚起される。そんなぼくの白の消息をたどってみた。

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ピート・ヘイン・イークのセラミック・マグカップ。
平面にのばされた粘土を折り紙のように人の手のひらで成形し、パンのようにふんわりと焼き上げたカップ。素朴だがフォルムへの配慮が行き届いており、造形としても美しい。

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ドイツのHALDENWANGERの衛生陶器。
実用品が持つ美は飾り気がない。そしていつその役目を終えても良いという、その機能がもつ潔さが形にあらわれている。

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Concrete Craftのボーンチャイナ。
スタッキングができる器は、町の食堂でみかける給水機の上に並んでいるグラスの形にも似ているし、北欧のガラスのコップがもつ清々しさも感じる。水を飲むときにコップのようにして使っている。

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アーティストHIMAAの紙コップ。
どこにでもある紙コップは、その機能と生産性を重視して作られたものがもつ、フォルムの絶対的な美しさをもっているとはいえないだろうか。

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1616 / arita japanのラウンドボウル。
有田焼の新ブランドのデザインを京都をベースに活動するデザイナー柳原輝弘が手がけた。マットな質感の陶器は高密度の陶土を用いて焼き上げられたもの。用途を選ばないアノニマスな形が日用使いの器にちょうど良い。ブランド名の1616は日本で初めて陶磁器が焼かれた有田にオマージュをこめてつけられた。

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東屋の波佐見焼の湯冷まし。
広島のライフスタイルショップref.で購入した。複数の曲線が組合わさった優雅ともいえるフォルムだが、機能とデザインのバランスがちょうど良い。お茶を淹れる際に、急須に注ぐ前にこの湯冷ましで適温に冷ましてから淹れると、甘く適度な苦みのあるお茶本来を味わいを愉しむことができる。

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FLOWmarketの薬ボトル「stress killers」。
2004年にデンマークではじまったFLOWmarketプロジェクトのメッセージ性をもった空のボトル。中身はもともと入っていない。たまに眺めてはそのメッセージの意味を考えたりしている。

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福岡の護国神社の蚤の市で買ったオランダのアノニマスな陶器の古いボトル。
携帯用の水筒のようなフォルム、量産品としての機能性、ところどころに入った貫入も味わいがある。

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李朝の皿。
柔らかな土が透けるくらい薄くかけられた釉薬の表情がこの器の持ち味。欠けた縁が金継ぎで補修されている。日用の道具としての器。

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スウェーデンのデザイナー、シグネ・ペーション・メリンのグラス。
やわらかな曲線が美しいグラス。一輪挿しとして使ったり、何も入れずそのまま眺めたりして愉しんでいる。メリンさんは50年代から活躍する女性デザイナー。

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SyuROの真鍮の丸缶。
真鍮は金属の中でも好きな素材。使い込むほどに心地よい色に変色していく素材の風合いは、色で例えれば白のようで、いかような変化も受け入れる懐の深さ広さをもっている。

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アノニマスなステンレス製のビーカー。
すれてキズが入った金属ほど美しいものはないと個人的には思っている。

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ニワトリのための偽卵。
ニワトリ小屋のワラの上にこの偽卵を忍ばせておくというもの。卵の白さ、そして白は新しい命を象徴する色でもある。

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KODAKのプラスチックのフィルムケース。
昔からフィルムで写真を撮影するのが好きだ。半透明のケースにグレーの蓋。ついつい溜まってしまう。片手で開け閉めできるキャップは思いのほか気密性が高い。複数を並べてそのまま眺めているだけでもいいし、旅先ではピルケースとして使っている。

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ヘラ・ヨンゲリウスのビーカー(トールサイズ)。
ぼくが敬愛するオランダ人デザイナー、ヘラ・ヨンゲリウスがオランダの老舗磁器メーカー、マッカム社のためにデザインしたもの。通常より高温の窯で少量分焼くことで、予測不能な歪みが生じる。工業製品に近いものでありながら、個体差が生まれ、それが日用の器の味につながっている。

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スタジオ・ジョブのビーカー。
上のヘラのビーカーをつくっているのと同じ窯、ロイヤル・ティヒラー・マッカムのもの。透明の釉薬でうっすらとスカル模様が描かれているのがおかわりだろうか?

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大治将典がデザインする「JICON」のデザートカップ。
佐賀県有田町の陶悦窯でつくられる焼物。買いやすい価格で日常を豊かにする器だ。

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ヘラ・ヨンゲリウスのB-setのプレート。
こちらもオランダのロイヤル・ティヒラー・マッカムのもの。表面は釉薬がかけられ、裏面は素焼き。使い込み、洗い込むうちに手触りがなめらかになっていく裏面の感触が心待ちになるほど楽しい。

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Papier Laboの紙箱。
紙ものを扱う千駄ヶ谷のPapier Laboの江藤くんが、原稿用紙を使ってつくった箱に僕の屋号でもあるFORMの文字をプリントしてくれた。

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BRAUNの目覚まし時計。
ブラウンは50年代から70年代を中心に20世紀初頭にドイツで生まれたモダンデザインの流れを汲んだ優れたデザインの工業製品を数多く残した。この目覚まし時計は10年ほど前に新品で購入した。真っ白だった型枠部分に微妙な黄ばみが生じており、とかく無機質な印象の工業製品でありながらその経年変化が愛おしい。

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Authors

加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
野本 哲平野本 哲平