Diary

痛みを知るまちが、
花火に込めた想い

2014年08月11日 

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8月2日、3日の夜の予定は、毎年必ず決まっている。

東京から新幹線で約1時間45分。長岡駅(新潟県)に到着した私が向かう先は、「長岡まつり大花火大会」の会場だ。長岡駅から徒歩でちょうど30分ほど。辺りがちょうど薄暗くなる19時すぎに、長生橋下流で日本最長の川、信濃川河川敷に私はすとんと腰を据える。高層ビルといった視界を遮るものはなにもない。視界良好。空と山と川の境界線が曖昧になっていく。「もう間もなく」。人々の高揚感が、会場全体を包み込むとき、私の心のなかに「ああ帰ってきた」という実感が滲んでいくのだった。

太平洋戦争末期、昭和20年8月1日に起きた長岡大空襲。「長岡まつり大花火大会」は、その空襲で亡くなった人々の慰霊とまちの復興への強い願いを込めて打ち上げている歴史を持つ。1949年、かの著名な放浪の画家、山下清氏は実際に長岡の花火大会に訪れてその光景を焼き付けた。その1年後に貼り絵で再現。それが彼の代表作『長岡花火』となった。以降、長岡花火は年々大きく認知されていく。

2004年、「長岡まつり大花火大会」は新たな意味を持つことになる。その年にあの中越地震が発生したのだ。これを機に長岡の花火は、いっそう壮大な花火が打ち上げられるようになる。

長岡花火の代名詞と言えば、何といっても正三尺玉だ。直径90センチ、重さ300キロという巨大な玉が、600メートル上空に打ち上げられ、直径650メートルに広がる。この正三尺玉と同時に、会場を彩る仕掛け花火がナイアガラ。信濃川に架かる長生橋と大手大橋に、それぞれ650メートルもの大瀑布が川面に流れ落ちる様は、実に幻想的だ。

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そのほか、長岡とゆかりの深い戦国武将・直江兼続公が掲げた「愛」をテーマに、打ち上がるスターマイン、そして中越地震以降欠かせない復興祈願花火がフェニックスだ。フェニックスは、全幅約1.6キロメートルと幅、高さともにあまりにスケールが大きいため、自分の視界だけではとても捉えきれることはない、花火という常識を逸脱したもの……。

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それまで花火は楽しむものだった。けれど、フェニックスを見て初めて花火に涙するという経験をした。まさに花火という名の、時間と空間、光も取り込んだ芸術作品。それは生もので、限りがあるからこそ愛おしいと思う。

「長岡の花火は世界一」。今年の大会で長岡市長はそう発していたけれど、まさにそうかもしれない。それは花火の規模は技術だけでなない。そこに込められた想いの深さも含めて。漆黒の夜空に開く不死鳥を眺めながら、力の限り、精一杯生きていくしかないんだなと、改めて想った。

中越地震から、今年で10年。痛みを知ったまちは、今後一層強く逞しく優しくなれると信じたい。

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加藤 孝司加藤 孝司
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