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Diary

イサムノグチの2つの橋の物語

2014年07月05日 

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イサム・ノグチの手になる広島に今もかかる2つの橋の物語は、1949年平和記念都市計画のコンペに丹下健三事務所案が選ばれたことに始まる。

その際丹下は併せて当時の建設省から、平和公園となる予定地の両側を流れる2つの川にかかる、2つの橋の設計を依頼される。そのときすでに丹下の頭の中には当時彫刻家として世界的名声をえていたノグチのことが念頭にあったといわれる。
アメリカ、日本という2つの故郷が大戦によって引き裂かれるという事態に直面し、広島の人々の運命に衝撃を受けていたノグチは、かねてから広島のために彫刻作品をつくることを熱望していたという。丹下からの依頼もあり、1951年広島を訪れたノグチは、いまだ焼け野原の残る広島の姿に愕然としながらも、広島に生きる人々のけなげさと逞しさに出会い、2つの象徴的な橋の欄干のデザインの着想を得たという。

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平和公園からみて太陽の昇る方角である東側に位置する元安川にかかる橋(1952年竣工)は、この土地に逞しく生きる人々と、世界がどのような状況であれ未来永劫不変に昇り続ける太陽を、生命の象徴として彫刻的にあらわした<生きる>-のちにつくるに改題ーを配置。
太陽が静かに沈みゆく、西の方角に流れる旧太田川にかかる橋(1952年竣工)は、8月6日の原爆投下によって亡くなった人々を永遠に追悼する意味合いを込めて、死者を弔い乗せる古代の船をイメージして、静的に佇み、亡くなった人々を静かにあの世へと送り出す<死ぬ>-のちにゆくに改題ーをつくった。
いまだ焼け野原の残る荒涼とした広島の地に、彫刻的な美しいこの2つの橋は、当時の人々の目にどのように映ったであろうか。

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真近で見るとくろずみ、ところどころひびが入って表面も剥離が目立つ。年月を経たことによる痛々しさは否めないが、荒々しい表情が、ノグチの祈りにも似た手の痕跡を感じさせる。それは、盟友丹下の今は真新しいタイルが貼られているが、建設当時の剥き出しのコンクリート造のピース・センターのモダニズム建築然とした潔い姿をいまに想起させる。

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現在この2つの橋は幾度かの補修工事を経て、今なお広島の中心地に現存している。市の中心を走る百メートル道路がその上を通り、県庁も近く、市の中心地ということもあり交通量も多く、橋の上は慢性的に交通渋滞が発生している。50数年という時をへて当然のように老朽化が進んでいるが、補修もほどこされ、今も変わらずその同じ場所にある。また、30年前の補修工事の際に、表面は老朽化していたコンクリート打放しから、自然石風の吹き付け塗装に変わったが、近い将来、竣工当時の打放しコンクリート仕上げに戻すことが検討されているという。
そして広島は今年、あの日から69回目の夏を迎える。私たちには忘れてはならないものがあるのではないだろうか

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Authors

加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
野本 哲平野本 哲平