Diary

本当に着たいボーダーシャツ

2017年02月20日 

ボーダーシャツという衣服。
その親しみやすさと定番感に甘えて、
今まで本気で探して手にしたことはなかったかもしれません。
G.F.G.S.に出合うまでは。

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このダイヤリーでも過去に何度か触れたことがありますが、
G.F.G.S.は新潟県加茂市発のファクトリーブランドです。
私自身、新潟県出身で加茂は母の故郷ということもあって、ALOYE×G.F.G.S.の記事執筆をきっかけにお正月やお盆に地元に帰る度に、G.F.G.S.のラボに遊びに行かせていただいては、
代表の小柳さんをはじめ、スタッフの皆様にはお世話になっていました。
そんななか、今回、改めてお仕事のご縁にも恵まれて、G.F.G.S.を伝えるための
ビジュアル冊子をディレクションさせていただきました。

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G.F.G.S.のアイデンティティとは何か。

ディレクションすることは問いを立てることでもあって、
この問いに対する答えを私は、
新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)を拠点に活動する
ダンスカンパニーNoismをモデルに起用した撮影を試みることにしました。

 

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2004年春に創設されたNoismは、創設から現在に至るまで、
ずっと国内唯一の公共劇場専属ダンスカンパニーとして、革新的な活動を行なっています。
既存の型を打ち破りながら、自分たちの型を作る振る舞いは、
完全受注生産で、1着からオーダー可能な型を取るG.F.G.S.のマインドに近しいものを感じました。

 

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自分たちの道を突き詰めていくという攻めの姿勢。
活動のフィールドは違っていても両者の根底に流れているものはきっと繋がっている。
そう信じながら、「街は踊る。」をテーマに、
撮影のためのチームを組みました。

そして撮影本番。

現場の雰囲気には本当にしびれました。
地下駐車場も舞台にしてしまうNoismという、
身体性の強度にただ圧倒されながら、
いわゆるファッションカタログという言葉では片付けられない何か違う手触りのしたもの、
それは「The first G.F.G.S. archive in 2017」へと導かれていきました。

 

しなやかな身体が纏うボーダーシャツは、G.F.G.S.の新作になります。

 

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環境は人を左右するものです。
東京の快晴も好きですが、
新潟の鉛色の空でしか生まれない文化や表現もきっとあると思うのです。
私自身、とても良い経験をさせていただきました。

いま、ファッションの時代(再考)。

2017年02月10日 

最近あらためてファッションが気になる。コズミックワンダー、ディガウェル、エンダースキーマ、ヤエカなどを好んで購入して身につけているわけだが、その背景につねにあるのが、初期衝動やアートとしてのファッションのあり方だ。
そんな時に、たびたび本棚から引っ張り出して読んでいるのが、2011年に上梓された林央子さんの著作「拡張するファッション」である。
’80年代という夢やうつつにほだされた時代から始まって、世紀末という記号がもつ不安の中、足早に過ぎ去ったゼロ年代に繋がる、何ものにも感情を左右されないクールなスピリットをもった’90年代という時代ファッションやカルチャーのアーカイブである。

林さんはファッションやアートを中心とした編集者で、自らも2002年より現在まで、不定期に刊行されているZINEのような親密さをもつ伝説的なカルチャー誌「here and there」を発行している。林さんのお仕事は国内の雑誌や、「Purple」といった海外の先鋭的なカルチャー誌でもこれまでたびたび目にしてきた憧れの一人。
本書籍にアーカイブされたテキストを読むとき、少なからずファッションというものに関わっていた’90年代の僕の日常にも、ほんのわずかながらだがだぶってみえてくるものがあり、とても身近に感じると同時に、どこか遠くにいざなわれるような感覚を感じさせてくれる名著であることは間違いがない。

この本には’90年代、ファッションや写真の周辺でアメリカやフランス、ベルギーやオランダ、日本などで同時多発的に巻き起こったガールズ・カルチャー、「ガーリー・ムーブメント」を起点に、同時代的な視点で、そこで起こっていた出来事が当事者としての林さんの視点で綴られているところにリアリティを感じる。しかも、「ガーリー」といったパーソナルな「小さな物語」が、当時ハイ・ファッションのビッグメゾンの取材をしていた編集者である林さんの視点によって見いだされるところに特異な流れを感じた。
この本に登場するソフィア•コッポラ、ミランダ•ジュライ、長島友里枝、スーザン•チャンチオロという、いま僕らのライフスタイルを刺激する女性たちの存在は、その活動の端緒をこの’90年代に見いだすことが出来ることをこの本は克明に記録しているが、僕ら世代にあって当たり前なこの事実を、どれだけの今の若い世代の彼ら彼女たちは知っているのだろうか?

’70年代に起こったフェミニズム運動では、女性たちは声高に革命のメッセージを当たり前な日常の中から掲げたが、’90年代、「ガーリーたちの時代」の女性たちは、ことさらに大きな声でメッセージを発しない。そのスタンスは、「あれこれ言うより行動で示す」(「拡張するファッション」P46)。そんな彼女たちの態度表明にもあらわれている。
国家という大きなものの価値が全世界規模で、がくがくと音をたて揺らぎ始めたようにみえる現在、そんな大きな物語に依拠するものとは違う、小さくても確実なコミュニティが生み出すクリエーションにこそ価値があることが分かってきた。この本で綴られる’90年代の女性たちによる静かな革命は、そのことに気づいた「今」という時代背景とも確実に共鳴している。

この本のなかで繰り返し述べられるのは、情報が洪水のように氾濫したゼロ年代と、その萌芽をまだ内に秘めていた’90年代におけるファッションを巡る状況の違いだ。’90年代、欧米の主要なメゾンはパリでコレクションを発表することで世界のトレンドをつくり出してきた。と同時にそこを訪れることでしか体験することのできないショーを中心に繰り広げられる非日常的で華やかな舞台裏は、当時ファッションにある一定以上の憧れをもっていた人びとにとっては、コレクションとして発表される作品以上の情報としての価値をもっていた。
コレクション以上の価値をもっていたそれらトレンドを生み出すファッションショーの華やかな舞台裏は、ゼロ年代以降の情報化の大波のなかで、ウェブでほぼリアルタイムに近いかたちで公開されるようになり、それを取材するジャーナリストたちだけのものではなくなったという。
それを考えるとウェブを中心にした情報インフラの整備が高度に始まった1995年以後(この年は、1月に阪神・淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件が起きた時代のターニングポイント)における、最大の転換点といえるテン年代のこのタイミングで、この時代の興味深いもののほとんどが誰に言われるでもなく自発的に発生した’90年代カルチャーが、文字というかたちで記録されたこの本の重要性は、計り知れないものがあるに違いないと僕は思っている。

ファッションという従来「目まぐるしいサイクルで流行が変わる消費産業」(「拡張するファッション」P76) に対し、この’90年代という時代に生まれた「ファッション」には今、それまでの制度的なモードやファッションの考え方をベースにしながらも、ファスト・ファッションといわれる消費中心のファッションとも、いわゆる「定番」という考え方とも異なる意味での新しいルックの登場を予感させる。
そのことはこの本にも記述されているように、この時代に生まれたファッションは、ファッションとは異なる分野にいる人たちにこそ、刺激的なものであったというその事実に証明されているのではないだろうか。
「拡張するファッション」において示されているのは、多様化した社会において、いつの時代も変わることのない、変化することを恐れない人びとが今もなお発信し続ける新しい時代に向けたメッセージだ。そしてグローバルな情報網を武器にいまなお席巻し続ける消費産業に対し、それと対峙しながらも、それぞれの自己実現のために同じ衣服というかたちあるものを武器に、声高に叫ぶのではなく「行動すること」で向き合っている僕たちの時代のファッションの姿なのである。

民具木平の市場調査 第20回 It’s a Sony 展 ”It’s a Sony”

2017年01月30日 

ソニー創業70年、開館から50年を迎え、惜しまれながらも2017年4月1日から解体が始まる銀座ソニービルに「It’s a Sony 展」を見に行ってきました。

ソニービルは建築家の芦原義信先生の設計で、ニューヨークのグッゲンハイム美術館のスキップフロア版とでもいうべき独特の「花びら構造」による建物で、僕も多いに影響を受けている。

芦原先生は武蔵野美術大学の建築学科の創設に関わった重要人物であり、経歴を調べるとマルセル・ブロイヤーの事務所で働いていたこともあるようだ。芦原先生設計のムサビの4号館は僕の好きな建物のひとつである。

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展示は1階から4階まで6つのコーナーにより構成されていて、まずはマガジンハウスの雑誌「POPEYE」による、「My Favorite Sony」のコ−ナーから始まる。

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実は僕も今発売中の「POPEYE 2月号」の138ページ、連動企画にて僕の「My Favorite Sony」を紹介させていただいているので是非ご覧いただけたらうれしいです。

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通友会!
東京通信工業株式会社はソニーの前身となる会社である。


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天皇陛下のインターホン(1949)
〜昭和天皇と侍従と女官を結ぶ、使いやすいインターホンを作って欲しいという宮内庁からの依頼を受け制作したもの〜

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電気座ぶとん(1946)

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電気炊飯器(1945)

上の座ぶとんといい、炊飯器といい、今で言うところのいわゆる「家電」というよりか、完全に現代民具という言葉が似合う様相を呈している。

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ランドセル贈呈式
すばらしいプレゼント。社員も子供もこんな感じでランドセルを贈呈されたらうれしいよなー

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デザイナーの三宅一生氏が手がけた自社ユニフォーム(1981)
夏冬兼用にするため、袖がファスナーによる脱着式。

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映像だけでなく、そのもの自体が美しいトリニトロン管
なかなか見れないいいモノを見れた。

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実家にはものごころがついたころから「プロフィール」(1980)という、これの前身のアルミダイカストの脚がついたシルバーのモニタがあったのですが、これはその後継モデルの「プロフィール Pro」
その映し出される映像や、スタッキング可能な形状の美しさはもちろんのこと、僕が思春期の頃の原宿や青山等にあるファッショナブルなブティックには必ずと言っていい程、このモニタが置いてあって、アブストラクトな映像や、ショーの映像等、僕の日常とは違うかっこいい世界が映しだされていた。


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度肝を抜かれたのがこちらのジャンボトロン。
森にそびえ立つ、高さ25メートル巾40メートルという、およそ8階建ての建物のような大きさの巨大スクリーンはなんとも異様な光景だ。
大阪万博のときの岡本太郎による太陽の塔もすごいが、つくば万博のジャンボトロンも負けず劣らずすごいじゃないか!
5歳だった僕も、かなりの盛り上がりを見せていたつくば万博には一度は訪れているはずなのだが、これはまったく記憶にない。地元のセイブというスーパーで買い物をすると「コスモ星丸」のソフトボールくらいのサイズのぬいぐるみやステッカー等が貰えた記憶がある。あれは手元に残しておけばよかったなあと後悔。
大学の卒業制作ではカセットデッキにテープの代わりに人が入れる等身大のラジカセをつくり、団地のベランダにはめ込むというミクストメディアによるインスタレーションをおこなったが、ひょっとしたら、記憶の奥底にこのジャンボトロンがこびりついていたのかもしれないなと今になって思う。


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これはそのジャンボトロン型のラジオ(笑)

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「my first Sony」群


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そして極めつけは「プロフィール Pro」型のクッション(たぶん)
あの頃買えなかった「プロフィール Pro」だけど、いまさら実物は重いからこっちをインテリアに取込んでみようかと思案中。

It’s a Sony

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Authors

加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
野本 哲平野本 哲平