Diary

祝・初の片貝まつり

2016年09月20日 

一昨年のダイヤリーで書かせて頂いたが、新潟出身である私は、
毎年8月2、3日は長岡花火を観るべく帰省するのが習慣になっている。

自分の地元に長岡花火があることをいつしか誇りに思うようになっていた私は、
全国各地が花火シーズンを迎える夏のひとときも「花火鑑賞は長岡花火で十分、十分」
などと、どこかで決めつけていたようなところがあったかもしれない。

だから例えば両親や友人から長岡の隣町・小千谷でも「片貝まつり」という花火大会で、
大きな花火が上がることを聞いても、「そうか〜」とは思っても、
こちらは毎年9月9日、10日だというし、自ら行こうという気にはならなかった。
そんな私が、今年はその片貝まつりにご縁があった。
なぜなら東京の友人が片貝の花火を見たいと提案してきたのだ。
長岡花火も一緒に見たことのあるその友人が、
「長岡もいいけれど、小千谷の片貝まつりで上がる花火はもっと素朴で魅力的だと思うの」
というのだ。すでにその時点で友人は、宿泊用のホテルも花火鑑賞用の桟敷席も
確保してくれていた。その本気度たるや。
これはご縁なんだなあと確信した私は「ぜひ行きたい」とすぐに返答をした。

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ポツリポツリと降ってくる雨に迎えられながら、9月9日、小千谷は片貝まつりの会場へ到着した私たち。

なんだろう、この土着的なムードは。会場に足を踏み込んだ瞬間感じるそのムードは、
長岡花火の質とはまた全然違っていた。それはまるで
小さな歴史の積み重ねの上に自分が立っているという感触。
このムードは即席ではできない。長い長い時間がかかっている。それだけは皮膚感覚でわかる。

聞けば納得だった。片貝まつりの歴史はなんと400年。
江戸時代、町内の各家庭で花火を作って個人や近所などの少人数で打ち上げをしていたことが、
始まりだったという。その精神は引き継がれ、現在もなお、老若男女問わず、
様々な思いを込めて花火を奉納している。
そうやって片貝まつりは紡がれてきたのだ。

上の写真はまさに、人々が奉納した花火が記された看板だ。
文字の凛々しさ、さらには文字組みの美しさに惚れ惚れする。
この看板を見ただけでも、歴史の重みと人々の想いが伝わってくる。

 

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片貝まつりは、日本で最初に「正三尺玉」や「正四尺玉」を打ち上げたことでも有名で、現在もまた、世界最大といわれる「四尺玉」が打ち上がる。

会場にはその原寸大の玉も置かれていて、人々が終始囲んでいた。

 

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浅原神社の裏の大木から垣間見る花火。何とも言えない風情がここにある。

視界を遮るものがない長岡花火に親しんでいた私が、花火を遮るものに愛おしさを覚えるなんて。
自分でもびっくりだ。私たちの祖先もまた、同じ風景を見ていたのだろう。
見えないけれど、命はつながっている。

 

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神社をこえて、桟敷席へと向かう。

暗闇の中、席の番号を表した緑とピンクの提灯が、道を照らす。
等間隔席の明かり。それは日常から非日常へと私たちを運んでくれるようだった。

「◯◯ちゃん、3歳の誕生日おめでとう」
「◯◯、還暦おめでとう」
個人の時間と想いがめいいっぱい詰まったメッセージとともに、
それぞれに奉納した花火が、ドーンと打ち上がっていく。
小さな単位の祈りや祝祭が、花火という共通の固体によって、みんなのものになる。
なんて素敵なハレの日なのだ。

長岡花火の大衆の祈り、片貝まつりの個的な祈り、どちらも素晴らしい新潟の文化だ。
それを体感することができて、本当に良かった。

「来年は私も片貝で花火を奉納したい」。

花火を見ながら友人がぽつり。
え!!本気??と思ったが、その表情からしてどうやら…..本気のようだ。

 

みなさん、私の2017年9月9日、10日の予定はすでに埋まりました。

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巨大な作品の背景にあるもの

2016年09月10日 

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世界の先鋭的な写真界の潮流の一つであるベッヒャー派の作家の一人であるドイツのトーマス・ルフの日本では初となる大規模個展が東京国立近代美術館で開催中。
トーマス・ルフは1958年ドイツ生まれの現代ドイツを代表する写真家の一人。本展にも出展される「Portraits」(1986-)で注目を集めた。

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その作品は自身で撮影した写真に限定されない。近代以降の報道写真や記録写真、インターネット時代ならでは膨大な情報空間を象徴するように、報道機関の写真アーカイブやネット上のデジタル画像などの既存の画像を用いて作品を制作する。さらにその画像を作家自身のイメージにしたがいPC上でデジタル処理し作品化したりする。ルフがいうところの写真のメディアとしての側面に着目したその作品は、写真、あるいは写真の存在そのものへの批評性にみちている。

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上の二つの作品はルフの代表作でもある「jpeg」(2004-)シリーズ。jpegとは文字通り画像の一般的な保存形式であるjpegからきている。RAWやtiffなどと比べるとデジタルが画像の比較的軽い保存形式であるjpegの弱点を逆手にとり、画質の粗さ、モザイク状のブロックノイズが作品上にあらわれる。それがこのルフ作品の独特の雰囲気を形づくっている。ちなみにこの作品自体もjpeg形式で保存された写真をもとに印刷されたものだという。

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宇宙や未来をモチーフにした作品は、写真を志す以前のルフ少年の憧れがもとになっている。

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「ma.r.s.」(2010-)シリーズはNASAの探査船が撮影した画像を素材とした作品。ルフはそれらを正規のルートで購入し、それを自らのPCで画像処理し作品としている。オレンジの作品は火星の幻想的な風景。
ルフの作品はアート市場で高額で取引されていることでも知られている。この作品はちらっと聞いたところでは数千万円の値がついているという。

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本展中でも最も近作となる「press++」(2015-)シリーズは、発見されたある新聞社のプレス画像=報道写真を素材としたもの。本展では日本の新聞社から提供された同シリーズの最新作4点が展示された。素材は未来をテーマに、日本の新聞社の膨大な写真アーカイブの中から、新幹線、EXPO’70などルフ自身が選んだという。ちなみに写真の表面にみられる文字や判は、写真プリントに裏書きされた文字や印のスキャン画像である。

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ルフは写真を本格的にはじめた当時、写真作品をつくることが生業になるとは思っていなかったという。当時の写真を巡る状況がそのようなものであったのだ。それが今では古典絵画や近代・現代絵画や彫刻と同じようにアートとしての評価が確立されている。
こちらが本展の入り口に展示された初期の代表作である「Portraits」。まさにアート写真の”古典”としての堂々たる風格さえ感じる作品である。
巨大に引き伸された肖像写真。真正面を向いてこちら凝視する証明写真のような作品だがなぜかものすごいインパクトをもって見るものに迫ってくる。あくまでフラットに並列的に。これはルフのアカデミー時代の師であるベッヒャー夫妻のタイポロジー(=類型学)のスタンスを継承している。あるいは、先ほど証明写真といったが、これはまた囚われ者を写した写真的でもある。これらは発表以降現代の監視社会を表象するという批評もある。写真は大きくなるだけで、ことなる存在になる。写真、ポートレート、絵画でも多用されてきたスタイルである肖像画というものに対するルフの批評的な試みが感じられる。

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「nudes」(1999-)は、インターネットのポルノサイトから入手したヌード画像を加工した作品。輪郭がぼやけた抽象的な作品は絵画的でもある。
これら既存の画像データをもとに作品を制作するルフのスタンスは、撮られた写真は真実であるという、写真表現のあり方をも揺さぶるものである。報道写真の例をみるまでもなく、撮影された写真は写真の発明以来、長いあいだ世界の真実を伝えるものだと思われてきた。だが、パーソナルコンピュターの普及により写真画像は簡単に加工できることが自明になった。そんな時代において、写真は個人の美的感覚を拡張するものであることはいうに及ばず、写真の証明性を担保するものは皆無になったということでもある。
そんな写真が置かれた状況に、ルフの作品は科学、あるいはグラフィックデザイン的な方向性を志向するようになったといえないだろうか?

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「Substrate」(2001-)。日本の成人向けコミックやアニメ画像などをもとに「イメージの解体」をさらに推し進めたラディカルな作品。「nudes」と比べると、もはや目を細めてもいかなる画像も浮かび上がってこない。

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これは電磁場の線図、数式を元にした作品「zycles」(2008-)で、もはや写真画像をもとにしてもいない。ネットや宇宙空間の中に浮遊するノイズのようにもみえる。

インターネット上に無数に溢れる画像に対する感受性がもたらす受容と、イメージの解体、そしてその興味は科学にまで及んだルフの作品世界。
写真はもはや個人の思いやイメージを具現化に近づける道具になったのかもしれない。

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来日したトーマス・ルフ氏は、「写真とはすべて社会的なものである」と語った。

写真はかくも自由で表現も多様である。これらは作家の世界の見方の一つの表現であり、表明でもあるのだ。
巨大化したルフの作品は、みるものとみられるものとの関係において、否が応でもその関係性にも問いを投げかけている。それは自己の存在やアイデンティティのあり方にも揺さぶりをかけてくる。目に見えるものを疑え、そんな声がルフの巨大作品は語りかけているような気がした。

「トーマス・ルフ」展
東京都国立近代美術館
会期:開催中〜2016年11月13日
※2016年12月10日より金沢21世紀美術館に巡回

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民具木平の市場調査 第15回 立川のパブリックアート  ”Public Arts in Tachikawa”

2016年08月30日 

「最近、現場があるので立川によく行っているんですよ」という話を鳥越の中華屋でしていたら、加藤さんが「立川にJUDDあるよね」と不意に言った。

翌日、自分の目でその真相を確かめに、アスファルトの上の空気がゆらゆら揺らぐ猛暑の中、立川駅北口あたりにJUDDを探しに訪れた。

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だいたいの場所は事前に調べてはいたものの、土地勘がほとんどなかったので、途中であったおじさんに「ドナルド・ジャッドという有名な彫刻家がつくった作品があるらしいんですけどどこですか?」と聞いたりもしたものの、全くわからずで、「あっちのほうじゃないか!」といわれた方向に北上していくと、あたらしくできたIKEA立川店がみえてきた。
JUDDの作品は駅前にあると聞いていたので、これは離れ過ぎだろうと思い、引き返して、まじめにインターネットで探してみたら、さっき道を聞いた作業員のおじさんが働いていたビルの裏側にあることが判明した。

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そういわれてみると「JUDDっぽい」とまでいったら大袈裟かもしれないが、あきらかに多少意識はしているであろう変に几帳面なおさまりのディテイルなどが目についてきた。

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モノレールの下の歩道からビルとビルのあいだの小道に入るとだんだんそれっぽい雰囲気になってきた。

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椅子や山等があったパブリックアートの小道を抜けると簡単にJUDD をみつけられた。

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実はこの作品はJUDDの遺作にあたるものらしい。作品の完成を待たずして亡くなったJUDDに代わり、病床でJUDDの手で描かれたプランをもとに、娘やアシスタントの手によって設置を実現したとのことである。

参考リンク

おそらく作品のあとに設置されたと推測される駐車場のゲートは、青から黄、黄から赤、赤青、青赤、赤赤、そして紫という具合に、時を超えての作品との対話によって導かれたものなのかもしれない。


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普段は美術館の中でみるような作品が自分の住んでいる街中にあったら気分がいいだろうな。

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足を組む女
そういえば、もう15年以上前、学生の頃、都市デザイン系を専攻のする学生たちが授業で立川に見学に行っていたような記憶がよみがえってきた。
そのころは六本木ヒルズはまだなかった。

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この日はほんとに暑かった。

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もう  九月なのか、

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加藤 孝司加藤 孝司
水島 七恵水島 七恵
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